平穏な日常
運動会、遠足、修学旅行 etc…
小さい頃から学校行事が嫌いだった
学校に漂ういつもと違う特別な日の感じが、なぜだか焦燥感や不安を駆り立てるからだ
前日にはてるてる坊主を逆さまにして、雨になるようにお祈りしていたほどだ
誕生日
―――誕生日を迎える度に何を祝うのかがずっとナゾだった
みんなはその日におめでとうと言う
しかし段々と年齢を重ねると、徐々に心のわだかまりが大きくなった
ただ生まれた日というだけである、何がめでたいのだろうか、そこに当人の意思は関係ないのだから
平穏な日常
―――なんでもない日おめでとう
毎日同じような日々を過ごしている、退屈で眠たい日々である
しかしテレビに映し出される非日常なリアルを見れば、その日々が如何に尊くて大切なものかを思い知らされる
特別なんて要らない、平穏で居たいだけ
愛と平和
愛と平和を皆が望めば
美しい世界が出来るだろう
嫉み妬み僻み憎しみ合う必要は無いだろう
でも考え方は人それぞれだ
たとえ家族であってもバラバラだ
皆が同じ理想を描くとは思えない
力こそが全てだ
そう考える者がいる
綺麗事は意味を成さない
世界がそれを証明している
悲しいけれどそれが現実だ
過ぎ去った日々
何にでもなれる可能性があるということは
何にもなれない可能性でもある
ある日突然何者かに成れるわけではない
ある日突然何かが出来るようになるわけではない
昨日までの積み重ねが今日の自分を作っている
出来ないことを出来ないと憂いて嘆く
ただ嘆くだけでは何も変わらない
そのままであれば明日も変わらないだろう
それを頭では理解している
全てはやるかやらないかの二者択一
それは何かに成れる運命の選択
私は過ぎ去った日々に後悔を覚えている
そしてそれを分かっていながら今日も後悔を重ねる
つまらぬ自尊心や飽き性や忘れっぽさを言い訳にして
お金より大事なもの
学生時代は学業が本分だと言われた
社会人になり当たり前のように仕事に就いた
何のために働くのか
お金を稼ぐためである
何のためにお金が要るのか
生きるためである
何のために生きるのか
何のために
何のため
・・・何のため?
生きる意味とは何なのだろう
そこに意味はあるのだろうか
生きる意味を感じなければ
お金は意味を成さないだろう
働く意味も無に等しいだろう
日々感じている虚無感は
こういう訳であるだろう
みんな平等に最期は来る
ならば意味など考えないで自由を謳歌したい
それが今はお金より大事なことかもしれない
月夜
とっくに終電が終わり
ぐっと気温が下がり
はっと吐く息が白くなる
カツカツと歩く音が辺りに響き
ドクドクと鼓動が耳につき
イライラの感情は疲労に押され徐々に和らぐ
やれ足元ばかりを見ていた
ふと顔を上げそれに気づく
この月夜に何を思うか