私は、作り事や変わった話が
出来ないんだけど…
植物や動物が好きで、自分の人生の
お題は多分、世話をされるよりは
世話をする人なんだと確信している
草花から始まり人間に至るまで
なんやかんやと手間ひまを掛けてしまう
何かに尽くしていたら、回り回って
きっと良い事がある……そう信じている
私に与えられた特殊能力と言えば
何からでも小さな幸せを見つけられる事
今日も小さな幸せを噛み締めた
去年の秋に植え付けた玉ねぎの収穫を
終えた事だ…
馬鹿らしい……かも知れない
植えたんだから、当たり前に育ち立派な
玉ねぎになる……と。
しかし、案外そうでもない
半年以上の時間の中では玉ねぎにも
アクシデントが起こったり、私自身に
だって何が起こるかわからない訳で…
夜な夜な、貯蔵する為にこれまた手間を 掛けながら、自然と言葉が出た
「わずか1本の細いネギだったのに
アナタ(玉ねぎ)たちは凄いね〜立派だわ」
1人そんな言葉を発しながら、何故だが
気持ちがホッコリして幸せを感じられた
目に見えないエネルギーに包まれ生かされている…それが今の私。
今度は、私が「そっと包み込んで」
まわりに小さな幸せの種をまきたい…
変わらない日常を繰り返し
今日も朝を迎えた…
皆、ジャネーの法則…と言う現象を
知っているだろうか…
生きた時間に比例して時間の感じ方が
変わる現象だ
例えば、幼子は1日がとっても長く感じ
大人は老化と共にあっと言う間に1日が過ぎる
何故、こうも変わるのか…?
簡潔に1つ言うと、好奇心と向上心が
段々と無くなり、ただ日常に流されて
生きるようになる
だから、一言で言うならばワクワクが
無くなってしまった結果みたいだ
これも当たり前と言えば当たり前か…
体力、知力、1日1日と上がりピークを
迎え、その先は緩やかに下っていく
けれど唯一わかる事は、日々の経験の
中から確実に忍耐と知恵を得ている事
魂だけは生きている限り成長を
止める事はない…
だから、自分自身の奥底にある
命の輝きだけは、今日もキラキラと
まばゆい光を放ち「昨日と違う私」を
作り上げていく…
昨夜は酷い雨だった…
家庭菜園の野菜たちは
ちょっと降りすぎた雨に
一晩中打たれながらも元気だ
一転、今日はいい天気だ…
朝陽に照らされ一気にぐんと
背丈を伸ばしている
日照りが続いても、大雨が続いても
文句も言わず凛と立って一夏を生きる
様は、たくましさと神々しささえ感じる
そして、小さな虫たちは時には悪さも
するが、あちこちを自由に移動し
花粉を運び、野菜や果樹に立派な
実を付ける為の最強のボランティアたちだ
「沢山雨が降ったね…頑張ったね
ありがとう」
独り言みたいに、ふと口をついて
誰にともなく感謝の言葉があふれる
1日中ずっと自然を眺めながら座って
過ごせたら幸せだろうなぁ…
朝陽(Sunrise)を浴びながら、地表では点ほどの存在である私も、ゆっくりと1日の流れに身を任せ今日も生きていく…
年を重ねると共に、良い意味で
諦めが早くなった…
いくら悩んでも考えても
結果はそう変わらないし
なるようにしかならない…
そう悟る事が増えていくからだ
だとしたら、悩む時間が無駄になって
しまう…
夜中に眠らずすっと明け方まで
考えて考えて思いあぐれた日が懐かしい
どんな悩みも結局は、いずれ小さな
出来事に変わっていく…
手放す勇気は生きた時間に比例する…
木漏れ日と聞くと…
一番は、時間に縛られてない事
心地良い風に吹かれ…
木々の間から木漏れ日が射し込む
ちょうど、ハンモックでゆらゆらと
揺られて、気持ち良さにうつらうつらと
目を閉じる…
どこからか、小鳥のさえずりと
小川の水の流れる音…
木漏れ日の言葉だけで頭の中は空想で
いっぱいになる…
現実は、全部違う…
一番最初に言った、時間に縛られてない
………そんな訳ないやんww
いつか実現したいな…本物の木漏れ日