「胸の鼓動」は年齢によって
意味を変える…
青春の頃は片思いの彼が偶然
近くに来たりするとドキドキ
…と言うよりはバクバクな感じだ…
就活の年代になれば、人生を左右する
職業を決める時、ここは鼓動を
隠して「私はいつも冷静です」
なんて、焦らず慌てずの使える人材を
演じねばならない。
上手く仕事について、人生の伴侶に
出会えば、次は子育てだ…
今度は、思うように歩まない子供たちに
振り回されて鼓動はハラハラである
そんなこんなで人生なんて言うのは
あっと言う間に時間が過ぎる…
長い時間をず〜っと頑張っている
「胸の鼓動」は、「動け!」と
命令している訳でもないのにほんとに
働き者だ…日々自分の体に感謝を忘れず
大切にしなければならない。
人は嬉しい事があると
「踊るように」ステップを踏んでしまう
回ったり、バンザイをしたりと忙しい
自然界の生き物たちもしかり…
求愛のダンスを踊り相手探しに余念が無い
例えば人の場合も…
美味しい物を食べると拍手を
したり、小さくガッツポーズをしたり
最後は、両手でほっぺたを挟んで
「美味しい!」を色んな形で表現する
身振り手振りというか…
生き物すべてが色んな形と習性で必死に
自分をアピールしながら生きる様は
周りから見ても微笑ましく可愛い
無意識にやっている行動や仕草が
知らぬ間に自分をアピールして
時には運命の人と恋に落ちたり
するのだろうか…
人生は苦労が7割…
良い事が3割…まあ、比重で言うなら
そんな感じかな…
一生で考えても、1日で振り返っても
楽しくて良い事の方が断然少ない…
修行に来ているのだから当たり前なんだが
しんどい事がず〜っと続くと頭では理解
していても、気持ち的には段々キツくなる
どんなに大変な案件にぶち当たったとて…
「あと、1年の辛抱だから頑張れ!」
…なんて、終了の「時を告げる」システムがあれば、もっと楽に構えられるのに…
後は、いかに自分自身が物事をふわっと
受け流すかだけだな…
結局、苦か楽かを決めているのも
我が心ひとつでどうにでもなる訳だ…
「貝殻」を耳に当てて
波の音を一生懸命に聞き取る…
幼い頃は浜辺を思い出しながら
素直に、皆一度はやってみたんじゃ
ないだろうか…
大人になって、自分の体液が流動して
いる音だと、夢のない正解を知らされても
やっぱり、貝殻から聞こえる波の音は
神秘的な神様からのギフトのように思える
たとえ、自分自身の体内の音だとしても
やっぱり、貝殻=海=波の音…
偶然にしては出来すぎていて不思議だ
長い間、接客業に従事していると
色々な年代の方とお話をさせてもらう
「きらめき」と聞いて若く美しい年頃
だろう…と、最初は頭をかすめたが
そんなものでもない気がする…
私が出会った大先輩たちは若さとは
ほど遠い…
それは、私達が想像出来ないくらいに
色々な経験を重ねて今を生きている…
ある方たちは、小学校からの同級生で
彼女たち3人はすでに90歳を過ぎている
時々、お互いの家を行き来してお茶会を
していると聞いた…
そして、別れ際にこう言うそうだ…
「私達、まだまだ老いぼれじゃないよね」
最初は、「すごい…」と3人のパワーに
押され気味に聞いていたが、しばらくして
感じ方が変わっていった…
失礼ながら、体はすでに老人である
しかし、その精神力は見習うべき所がある3人の人生すべてが「きらめき」と捉えると、一生老いぼれる事とは無縁だと感じ
られる…