子供の頃は、とにかく両親が多忙でいつもバタバタと余裕なく生活をしていた。
今思えば二人はマイホームを購入しようと
我が子4人の先行きを考えながら
がむしゃらに働いていたようだ…
そんな訳で、兄ばかりで末っ子の私は
甘やかされる環境とは程遠かった…
自然と何でも自分でやり、人を頼らない
自立心の強い大人に育った…
自立心が強いと一見、何でも決めたり行動
したり良いようにも感じるが、実際は
甘えられない…弱音を吐けない…意地をはる…そんな感じになって結構辛い。
兄には「守ってやりたいタイプじゃない」と言われ…旦那には「女の仮面を被った男だ」とまで言われた…ww
自分がそんなイメージを周りに植え付けたのだから自業自得だが、ホントは甘えたい
弱音も吐きたい、頼りたい…
もうそろそろと「強い私」の鎧を脱いで
弱い私を出すタイミングを計らねば…
私の「日常」は夕方5時前に施設にいる
母に電話をかける事…
日々の繰り返しはすでに5年を過ぎた。
365日×5年…約1800日だ。
「よくそんなに毎日電話を掛けられるね」
知人は、やや呆れ顔で私に言った…
「マザコンなの?」そんな感じの言葉を
言われた事もある…
毎日電話をかけ続ける私の「日常」は
マザコンでも執着でもない…
根底にあるのはやはり「感謝」だ。
両親が頑張ってくれたから今の私がいる。
年老いて体も思うように動かなくなるし、認知機能も落ちる。
その不安感はその年にならなければ
本当の意味でわからないと思う。
今私が出来る事は、母に寄り添う事だ
「親孝行したい時には親はなし…」
昔からの言い伝えには深い意味がある。
母が生きている限り私の日常は続くだろう
高校生の頃、白黒のモノトーンの
服が流行ってた…
夏休みに県外の叔母の家に行く事になり「好きな服買って来なさい」と
母からお許しを得て親友と一緒に
服を探しに行った。
ワクワクしながらお出かけ用の服を探して
私はすぐにモノトーンのワンピースを見つけた…
当時、私が「好きな色」だった。
楽しいおしゃべりとショッピングで
夕方に親友と別れて帰路についた。
「ただいま〜!良い服見つけた!」と
母に報告する為に袋から出した。
「何?その地味な服は…」
「今、流行ってるんだよ〜」と私…
次の瞬間!「ダメ!絶対ダメ!」と母。
しばらく押し問答が続いた後…
「わかった…明日取り替えてくる」と
私が折れた…悲しかった…
次の日、母同伴で買い替えた服は
パステルカラーの可愛らしいワンピース
母ご満悦…私は…無言
そのせいなのか、私は今もピンクは着ない
目を閉じて色々考えた…
両親·兄弟·家族·親友·仕事仲間…
次に浮かんだのはその人たちとの
沢山の思い出や出来事…
一人一人色んな事があった
………やっぱり選べない。
関わりの大小はあっても良くも悪くも
関わらなかった方が良かったって人は
いない…
苦しめられた相手でもそう言えるの?
多分そうだよね…けれど時間の経過と
共に何かを残してくれている事に気づく
それは自分にとっては必ずプラスに働く
今私が、こんなに打たれ強くたくましく
成長したのは「あなたがいたから」だ。
今まで私と出会ってきた沢山の人たち
本当にありがとう…
何歳なんだよ!と言われるのは承知で
「相合傘」を語ろう…
私が思う相合傘は、雨にさす相合傘では
ない…
彼氏が自分の肩をびしょ濡れにしながら
彼女を「守ってやるぞ!」と頑張ってる傘ではない…
まだそんな事はずっと先…
もしかしたら叶わないかも知れない。
「片想い」の相合傘だ…
それは、宿題のプリントの裏だったり
新聞の広告の隅っこだったり…
1人スリルを味わいながら学校の黒板に
書いて慌てて消す…自分で勝手に書く
相合傘だ…自分と想い人を隣合わせに
書く…
ちょっとテンションが上がるとハートを
テッペンに付け足す…
そして、ニンマリしてしまう…
何だか好きな人の名前を隣に書くだけで
恋人にでもなったかのように心が躍る…
今よりずっと不便な時代ではあったが…
便利な現代よりずっと気持ちはピュアだったかも知れない。