「2023郡上踊り」
カランコロン
響くのは
下駄の音
伸びやかに
広がっていくのは
唄い手たちの声
ねっとりと
絡みつくのは
目の前で踊るあなたの視線
足しげく通うのは
現実から逃れたい
わたしの足
ここにいると
落ち着くのだ
頭を空っぽにして
みんなと同じ輪の中で
踊り 跳ね 歌い 狂う
言葉を交わすことなく
ただ共に踊る
どんな人生を生きているのだろうか
わたしはこれからどう生きていこうか
今晩だけは
かつての人々がそうであったように
わたしもあなたも誰も彼もが解けあって
上も下もなく
優劣もなく
ただ
祈り踊る
#踊るように
「トマレ」
もういいよと言うまで時よ止まって、
何事も進まないで、
私が歩み出すのを待っていて。
そんな願いは虚しく、
時代の流れも
人びと生活も
進んでいった。
流れていった。
取り残された私には
部屋の本や小さな置物だけが
変わらず残る。
遠い昔の思い出を秘めて
#時を告げる
「めく」
それは夏の終わり、夜風がひんやりしてきたことを感じた日。秋めいてきたね、と話しながら「〇〇めく」ってなんだろうって話をした。春めく・秋めく・時めく・煌めく・蠢めく…。ふたりで集めた「めく」言葉たちは、その先に素敵な予感を想像させるものばっかりだった。
いつか読んだ新聞に「人生をやり直したいと思ったことがあるか?」という質問が書かれていたことを覚えている。結果は、6割強の人が「はい」。理由は様々だけれど、やり直したいと思う程に人生が難しいのは、何も描かれていない・空っぽ・真っ白・未知な未来を歩まねばならないからだと思う。
「人生とは稽古する時間もなしに役割を演じなければならぬ劇である」
記事のまとめに記者が引用したこの言葉は、実に的を得ているように思う。準備する暇もなく、背中をドンっと押されて飛び出した舞台でどんな役を演じるのか、どんな踊りをするのか、どんは演奏するのか…。台本も稽古もなければ、監督も指揮者もいないからこそ、その舞台では自分自身で何かを生み出す場になる。その未知の舞台に何か「めく」素敵な予感を見出せるだろうか。
「めく」と言えば、寄席などで現在の演者を示す札のことは「めくり」という。出演順にたくさんの演者の名前が綴られている。けれど、人生という席では、次の演者も代わりの演者もいない。誰もがずっと舞台に立ち続ける。止まることなく続く舞台で繰り広げられる「めくりめくる」日々は、選択と未知の連続だ。
めくる。1日の終わり、日記の1ページ。学期の変わり目、履修表。めくる。就職、学生という身分の終止符。転職、次なるステージへの幕。めくる。結婚、純白のウェディングベール。子育て、子どもを起こすためにベットのシーツを。
ライフステージにおいて大きな選択だと思っていたものも、1枚1枚めくる日々の延長線上にポッポッと灯りをつけて並んでる。きっとそれは「悲しくなるほど無責任で、残酷で、途方もなくやさしい」
そりゃ不安もあるけれど、そりゃ後悔だってしたくないけれど、誰も傷つけないようにと頭を悩ませちゃうけれども、めくりめく日々は「めく」言葉だもの、その先には素敵な予感が待っているに違いない
#きらめく
昔の夢と思ひ出を
頭のなかの
青いランプが照らしている
ひとりぼつちの夜更け
立原道造
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「わかれ」
わがままになつてゆく
わたしが許せなくて
あなたの元をはなれた
なみだと
ため息をまぜて
送りましょう
わたしの愛を
知ってほしかったから
#香水
「さざめきの詩」
瞳を閉じて想像する
深い森の中
光の降りそそぐ海の底
ほかには誰もいない
静寂
瞳を閉じて
そうっと息をする
耳をすます
...
ほら、命の声がする
頭の上から
足元から
互いを求める愛の賛美
わたしに投げかける不思議な眼差し
満ち満ちたこの世の喜び
奪われていく自然への嘆き
言葉のない
さざめきの中で
わたしは
何よりも濃い
命の声をきく
#言葉はいらない、ただ...