「過ぎた日を想う」ことは、最近多い。歳を重ねるとなおのことだ。「あの時こうしていたら、今どうなっていたのだろうか」とあれこれと考え、後悔したとは思いたくないので、「あの時こうしたから、今こうなっている」と思い込む。「我思う故に我あり」と、フランスの哲学者であるデカルトの言葉を思い出す。「私は考える、だから私は存在する」という意味だ。「私は過ぎた日を想う、だから、私は存在する」だから、「私達は過ぎた日を想う故に私達の存在は価値あり」だ。素晴らしいことだと想う。
イーナ
「星座」と聞いて12星座を思い浮かべた。乙女座、蠍座気になって調べた。おひつじ座,おうし座,ふたご座,かに座,しし座,おとめ座, てんびん座,さそり座,いて座,やぎ座,みずがめ座,うお座。ふと気づいた。なぜ、おひつじ座やおうし座に、「お」がつくのか。おふたご座やおかに座にならないのか。さらに調べたらオスの「お」だとか。それではメスはいないのか。メスならめひつじ座、めうし座があってもいいのでは。多様性の時代なので、シンプルにひつじ座、うし座はどうだろうか?
イーナ
「踊りませんか?」と相手から言われたらどうしよう?自分が踊れるなら踊りたい。相手がリードしてくれるなら踊ってみようかと思う。「踊りませんか?」と自分に言ったらどうしよう?心踊るような日々を楽しみたい。たまに、わくわく、どきどきするような日々を楽しもう。「心踊りませんか?」
イーナ
「巡り会えたら」
巡り会うのは素敵なことだろう。例えば、映画やドラマの恋物語が思い浮かぶ。最後は巡り会い、ハッピーエンドといったストーリー。よーく考えられているなと感心したり、結末がわかっていても、なんかときめきを感じてしまったり。脳は、現実か夢かは、わからなくなると聞いたことがあるので、夢の中でいつでも、誰かと巡り会うのはどうだろう。恋物語、濃い物語、今日も夢で「巡り会えたら」素敵なことだろうな。
イーナ
「奇跡をもう一度」と願っている間は新たな奇跡は生まれないかもしれない。なぜなら、もう一度奇跡があるならば、奇跡とは言わない。奇跡は一度としても同じでないから奇跡と呼ぶと思う。「奇跡をもう一度」と願うよりも、「奇跡を何度でも」と願おうかな。でも、願うと同時に努力もしよう。願って念じていても願いが叶うとは思っていないから。「奇跡をもう一度」「奇跡を何度でも」そうだ!努力で呼び込もう!小さな奇跡でも。「努力をもう一度」
イーナ