初めてファンサをもらった。
チケットが当たって
ステージから近い席で
一瞬の沈黙が生まれた瞬間
タイミングが良かった。
運が良かった。
文字にすればその程度のことなのに
すべてが奇跡のようだった。
「彼」は「私」を見た。
それだけ。
多分、この体験がなかったら
今も、こんなに苦しいとは思わない。
きっとそう。
これから
もう一度、その奇跡が起こる確率は?
時々、考える。
でも。
私の答えはいつも同じ。
ただ、ただ、元気でいてほしい。
毎日を、
楽しく、そして幸せでいてほしい。
「彼」にとっての奇跡が「今」だとしたら。
もう一度、とは言わず
一生続いてほしい。
私の奇跡はあの一度で、もう充分。
充分。
「今日」は「寝るまで」。
「明日」は「起きたら」。
日めくりカレンダーをちぎっては捨て、
ちぎっては捨て、
「1日」をそういう風に過ごしている。
それは、きっと明日も。
それでは、
おやすみなさい。
私の人生は、
3分の2辛かったこと、
3分の1悔しかったこと
そういう割合。
辛いから、悔しいから、
その気持ちをバネに生きてきた。
多分これはもう、癖みたいなもので
やめられない。
自分の「生き方」として成立してしまった。
静かな部屋だと、
つい、こういうことを考えてしまう。
過去に行き、登場人物たちに会い、
彼や彼女の現在を知るために
SNSに名前を打ち込む作業。
私より幸せそうに見える。
それでいい。
SNSは、そういうモノだ。
迷路でしかなかった。
上に登れば滑り台があって降りられる。
ただ上へ行けばいいだけなのに、
私はそれができなかった。
何度か繰り返して
やっと滑り台を降りた頃には
大人になっていた。
ジャングルジムはだから嫌いだ。
人工的な光をあびて
屋上のフェンスにもたれていた
どこもかしこも、空が狭い。
煙草に火をつけて、パーカーのフードを被った。
自分だけが辛いように見えるように。
孤独に見えるように。
見知らぬ誰かへのアピール。
「だる……。」
今日という日の延長が明日になったのは
いつの頃だったか。
毎日を千切っては捨て、千切って捨て。
そんなことを繰り返したせいで
自分までゴミみたいだな、と思うようになってしまった。
そのくせ、誰かに必要とされていたいし
愛されたいし、見つけてほしい。
空は狭いし、暗い。
星のひとつも見えない。
帰ろう。
生きる場所はここじゃなかった。
コンクリートよりも、砂がいい。
空は広くて、星が見えて。
月が反射した水面を見ながらの一服も
きっと悪くない。
孤独は波音で消すんだ。