踊るように
心踊る体験をしたい。
踊りながら生きていくことは限られた職業によって可能だ。
私は心が踊るように生きていきたい。
鏡
鏡を見ると、自分の顔つきが気になる。
明るいのか、不安そうか、自信がなさそうか、ありそうか、気持ちと連動して顔つきも変わっていく。
無の時がある。
顔は乗ってるけど、無。
そういう時は無理やり口角を上げる。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
「幸せになってください、
なぜならあなたは生きていて、あなたの過ごす時間は
あなたしか感じることができない瞬間で溢れているから。」
苦しさも、楽しさも、辛さも、嬉しさも、
誰かと比較してしまっても、何を言われても
あなたはあなたでしかない。
自分を変える必要のある場面があるかもしれない。
自分も賛成するならしましょう。
今の自分を気に入っているなら、知っておきましょう。
そうすれば、必要な時のみすればいいから。
理想を高く持ってもいいじゃないか。
努力するのは私だ。
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私は神様に縋った。
人の言葉を正しく理解できる力が欲しい。
神様が舞い降りてきて、こう言った。
「あなたが幸せになりますようにと願うことしかできません。きっかけは散らばってるから、掴んでみて😗」
「けッ」
誰かのためになるならば、私のやっていることは価値があると思える。
誰かのためになるならば、私の立場が危うくなっても構わない。
誰かのためになるならば、自分の気持ちを追いやって苦しくなっても構わない。
私は、誰かのためになるならば、罪悪感を持たずに進むことができる。事柄にもよるけれど。
安心して息のできる場所は、1人が頑張ったところで作れる物ではない。
だから、まず、その人の心の中に温かい心があることを確かめて、気持ちのいい関係、居ていいんだと思える関係を作っていく。
そういうことをやってきた。
素敵な人たちと出会ってきた。
今、私は、出会う機会を手放してしまっている。
誰かのためになるならば頑張れた自分はどこへいったのだろう。
自分頑張る意味あるのか、何を頑張るんだ、やりたいこと、人の言葉に翻弄されて考えることすらしにくくなった。
節目としてた時を、他の人の気持ちと同じくらい自分の気持ちを大切にして楽しく過ごすきっかけとなる時を、エネルギーがないにしても自分のために頑張れていたらなと今でも思う。
今までありがとう自分、でもごめんね。
きっかけを掴めなかったことで、空虚な時間を過ごしました。
なんともないように振る舞っていたけれど、報われなさに限界が来ました。
今まで頑張ってたのにごめんね。
誰かのプラスになって、自分のプラスになることが1番。
自然に苦しみ楽しんで切磋琢磨できるのがもっといい。
でも、今の自分がその相手になれるのか不安だ。
繊細な花を知らない。
結構逞しく花は生きていると思う。
環境に適応しないとかはあるが、置かれた場所で咲いたり、人の手によって最適な場所で咲いたり。
どの場所でも成長しようとする。
成長するようにできているのかもしれない。
あ、でももしかしたら元々は花も喋れたのかもしれない。
花に対するいい言葉、嫌な言葉を聞きたくなくなって、己と向き合うようになったのかもしれない。
繊細な花だったのかもしれない。