現実逃避。
そろそろ、アレが終わる。次は、コレが始まる。今日も、このまま続く。明日は、遂に結果が出る。
こんな毎日を送っていると、とぎどき逃げたくなる時がある。でもそれは、いくら順調に進むプロジェクトでも、目を開けられないような事実の前でも、同じように起こる衝動だ。だからといって、どれだけ上手く逃げても、身体の奥底の端の隅に、胸を締めつける塊が残る。
今、私の前には、カエルの置物がある。でもそれは、何故か歪んでいるし、光っている。指し示す未来は現実かもしない。
今、あなたの前には、スマホの画面が広がっている。それによって何か心を動かしたいとでも思っている。でも本物の応えなど得られないと、奥底では分かっている。
逃げてもいいなんて綺麗事は必要じゃない。帰ってくる場所が欲しいんだ。
ひとつ深呼吸を。
太陽のような。
太陽のような笑顔なんてよく言うけど、そんなに底抜けに明るいと、人間生きて行けないと思う。さざ波の立つような心とか、凍えそうな胸の奥とか、美しさを見て微笑む余裕とか。そういういくつもの心がないと、そんな笑顔は出ないのではないか。
でも、きっと、そんな心なんか無い方が、太陽のような屈託のない、悪意や敵意なんてない意味での笑顔が浮かぶのではないだろうか。
では、悪意はないのか。
難しい問いかけだ。
0からの。
今はもう、ゼロなんてものは無い。何をするのだって、雑念のように、何かしらの感情やら、知識やら、常識やらが混じってくる。だから、0なんてものは感じられないし、1になるまでに時間がかかる。
でも、出発ならある。新学期に新たな友達を作ろうともがく君だって、スーツに身を包み歩き出すあなただって、不安をまとって顔が強ばる私だって、新しいことに挑戦しようと頑張っている。0のように見える、土台の上で。
でも、だからこそ、大丈夫。それは0じゃなくて、ただの始まりだから。0を1にするような難しさは感じなくていい。1をどこまで増やせるかに、挑戦していこうじゃないか。その方がきっと、楽しいはずだから。
0からの、じゃなくて、1からの君で。
同情。
余りにも過剰な同情は嫌われる。私は何にだって、気持ちが高まれば寄り添いそうになる。心の中心が熱くなる気がして、言いようのない不安に襲われる。宙ぶらりんなソファーにでも投げ出されたような気分だ。だけど、それが、同情だと思う。
君の不幸話とか、あなたの辛い記憶とか、私の後悔とか。きっとそういうのには、同情が集まる。けど、それは嬉しくないし、楽しくないから、みんな嫌いなのだろう。でも、同情されるって、それだけ底にストーリーがあるって事だから。なんだか、見つけられた才能みたいに、しっぽを振って喜べるモノかもしれないと思うこともある。
とどのつまり、それは、面白いんだ。だからとにかく、話してみよう。下ろしてみよう。
同情された分きっと、心も軽くなるから。
枯葉。
多分一瞬なのだろう。そこにあった自然も、建物も、人も、花も。枯れるのなんて、ほんとに些細なこと。
これから働き出す僕は、いつまで新人なのだろう。
今まで現役だったあなたは、これから何になるのだろう。比べても分からないことを、もわもわと浮かべては、みつめて、悲しくなる。このまま果てていきたいなんて、誰が思うのだろうか。
一生無くならない場所なんてない。現に私だって、今から地元を離れようとしている。右耳に聴こえるかすれ始めた電車の音と、左耳に聴こえる車が回すエンジンの音。こんな音ですら感傷に浸れるようになるのだから、枯れた心は美しい。
今日は枯葉のように過ごす。きっと明日も実ることは無い。
でも、そんな今日を栄養に、いつか茂る葉を想像して、更なる深みへ落ち沈んで行く。
それが明日の楽しみかもしれない。