幼い頃、私の好きな色はピンクだった。しかし小学校高学年になると、ピンクは幼稚な色だと同年齢の子達が口を揃えたものだから、私はピンクが好きだと胸を張って言えなくなってしまった。あれから沢山の色に出会って沢山の色を好きになった。それでも昔と変わらずピンクが好きな気持ちは変わらないんだな~と思う今日このごろ。
紫陽花は眺めていて落ち着く花だ。色鮮やかだからだろうか。或いはずっしりとした形をしているからだろうか。それとも多情多感な幼い頃に大好きだった花だからだろうか。
久々に生まれ育った古里に帰ってきたら街並みがすっかり変わっていた。見慣れていたはずの街並み。物足りなさを感じて離れようと決心したはずの街並み。戸惑っている私とは裏腹に周りは皆飄々としている。街に忘れられてしまったみたいで、妙に悲しい気持ちになった。いや、今まで忘れていたのは私の方だったのかもしれない。
ごめんね。ただいま。
真夜中は活動することで忙しい昼間と違い、静かで自由に想像できる時間だ。沢山考えて、自分という存在と真に一緒にいられる時間だ。慌ただしく、騒がしく、苦難が多い昼間から少しだけ逃られる時間だ。
真夜中を好むのは現実と向き合わないに等しいのかもしれない。社会に馴染めていない証拠なのかもしれない。
それでも私は、太陽はないが不思議と暖かい居場所をくれる真夜中が好きだ。
皆が昼に起こる出来事のために生きるなら、私は真夜中のために生きる。生きていける。
流れ星に願いを託せるのはほんの一瞬。無数の願いを唱えたり、沢山の望みの中から一つを選び出す猶予もなければ、願い事を考える時間もない。結局、一つの願いを切実に持ち、「願い事を一つ。」と言われたときに、すぐパッと出せるほど努力したり、真剣に向き合ったりしていなければ、そういったチャンスが現れても掴むことができないのかもしれない。
流れ星にはとてもロマンがあるが、それ以上に道徳的であると思うのは私だけだろうか。