『夏』
蝉が騒がしく鳴いている。
今日は昨日より少し涼しいからかな、外で活動している部活も多い。
蝉の声と学生の声が混ざって空へ溶けていく。
遠くから、吹奏楽部が音出しをしている音も合わさった。
「あ~終わらねぇ〜」
「口じゃなくて手を動かせ、手を」
夏休みの真っ只中、外から聞こえてくる喧騒をBGMにクーラーの効いた教室で作業を進める。
「にしても涼しいなぁ…ホントにここ教室かよ」
「冷房ガンガンかけてんだから涼しいに決まってんだろ」
「いやぁさ、夏の教室って言ったら、あの纏わりついてくる暑さと扇風機と窓から入ってくる生ぬるい風だろ〜〜」
「いつの時代の話してんだよ」
そんな軽口を叩きながら、着々と作業を終わらせていく。
「あのさぁ」
「なんだよ」
終わりも近づいた頃、ふと思いついたことを提案してみようと、相方を見た。相方はめんどくさそうな顔をしている、失礼な。
「エアコン止めて、窓開けても良い?」
「はぁ?!こんなクソ暑いのに?!俺はやだね!!」
「えぇー?あの頃の教室体験しようぜぇ?ノスタルジックに浸ろうぜぇ?………まぁ承諾なくやるんだけどねっ!」
エアコンを止めて、窓を開ける。むわっとした熱気が教室に舞い込んでくる。
なんか後ろでギャーギャー言ってるが知らん。
「あぁ〜〜これだよ、これ」
「うわぁあっつ……でもなんか懐かしく思うのが腹立つ」
「だろぉ?」
熱気の中に、少し爽やかな風が混ざっている。土の匂い、蝉の鳴き声、生徒達の声、全てが懐かしくなる。
急にガラッと教室のドアが開く。
「うわ蒸し暑っ!せんせー達何してんの?エアコンもつけないでさぁ、あっそうだ!たなせんが二人のこと呼んでたよー」
「おー高橋か、分かった、ありがとな」
「高橋ぃ、お前何度言ったら先生のこと略すのやめんだ……田中先生に小言言われるの俺達なんだからなぁ」
「じゃぁ俺は忘れ物取りに来ただけなんで!しつれーしまーす」
元気よく走っていく高橋に、廊下は走るなと叫んでから、資料をまとめ教室を後にする。
「田中先生が呼んでるって何だろうな」
「さぁ?ただいい話ではないのは確か」
「嫌だぁ」
学生時代に思いを馳せていた時間は早々に終わりを告げた、新任教師の俺達は、学年主任の田中先生の元へと急ぐのだった。
「心だけ、逃避行」
少し目を閉じてみる。
周りの喧騒が、すっと遠くに離れていく。
ピンク色の雲や、オレンジ色の空。
ふわふわと空を飛ぶ空想をする。
ここが私の隠れ家。
嫌なことがあったらここへ逃げ込むの。
現実は逃がしてくれない、辛い現状は変わらない。
なら心だけでも逃避行してもいいでしょう?
ピピピッと無機質な機械音が響く。
今日の逃避行はここでおしまい。
私は現実へと戻っていく。
「やさしい雨音」
トントン、ポトポト
雨音が窓をノックしている。
動物たちも雨宿り、カエルの鳴き声だけが遠くから聞こえる。
思い出すのは、この夜と同じ静かな雨の降る夏の夜。
蚊帳の中で姉が呼んでくれた月の兎の絵本。
月から来た兎は愛するものを見つける、けれど自身の出生から永遠に一緒にいる事は出来ず命を落とす。彼の子供は月へ渡り、故郷を思い出し満月の夜には月に自身の姿を映し出し、懐かしむ。
そんな切ない絵本が私は大好きだった。
今日は満月。けれど雨が降っている。
月からは雲が邪魔でこちらは見えないだろう。
故郷が見えない兎が静かに泣いている、そんな風に感じるこの雨に、兎を慰めるように地上は優しい雨音を鳴らしている。
雨音を子守唄にして我が子は眠る。
私は、かつて姉が読んでくれたあの絵本の最後の方にページを閉じた。
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小さい頃、自分が大好きだった絵本を元に書きました。20年くらい前の絵本だけれどまだ手元にあります。
将来自分に子供が出来たら呼んであげたいなぁ
「風と」
ぬくい風が吹く。
5月の夕暮れ、春に感じていた夜の冷えはなくなり、ぬるいけど何処か爽やかな風が吹いている。
漕ぐたびにカラカラと音を立てる自転車。
「あと1年、保ってくれよ」とハンドルを軽く撫でた。
3年に上がって早1ヶ月。
もうすぐ、学生生活最後の夏が始まる。
「おーーい!一緒にかえろうぜぇー!」
後ろから、友達のよく通る声が聞こえて少し減速する。
自転車を押しながら、他愛のない話を積み重ねていく。
次々と、一緒に歩く人数が増えていく。
もうすぐ夏が来る、いつか終わる、分かっているけれども、この青い春だけはずっと続いてほしいと願う。
そんな気持ちを肯定するかのように、追い風が俺たちの背中を押していく。
『手紙の行方』
毎年、あの人の誕生日になると一言だけ書いた手紙を火に焚べる。
私を一人にした酷い人。
私に宝物を残して逝った酷い人。
でも愛する人。
命日になんて送ってやらない。
あなたが居なくなった日に手紙なんてくれてやらないんだから…
あなたが生まれた日には手紙を出すから許してね。
今年の手紙は、私の字の下に不格好な文字が増えたの。どうか、届きますようにと、パチパチと音を立てる火に願う。