私には、イチゴ大福を食べに行く、和菓子屋さんがあった。その和菓子屋さんは、人通りが少なく、小道の入ったところにある和菓子屋さんだ。
私は、月に一回ほど行っていたが一昨日行くと、和菓子屋さんは看板がなくなり旗も取り外されていた。
私は、移転したのかとも考たが、いつからあるのか知らないし、和菓子屋さんとだけ思っていたので探しようがなく、無くなってしまった理由を考えながら帰路についた。場所がやはり悪かったのか、和菓子の人気が洋菓子と二分されてしまったのかなどと考えていたら、イチゴ大福の旗を見つけた。
私は、そのお店に寄り、イチゴ大福を買うといつもよりお釣りが多くイチゴも大きくなっていた。別れもあると出会いもあると思い、お店の名前をメモして家で食べたが酸味が自分には強かった。
お気に入りの和菓子屋さんの名前を知らず、多分二回目は行かないお店の名前だけ知っている。そういえば、お気に入りの和菓子屋さんで、イチゴ大福を食べるまでは、酸味が強くてそんなに好きではなかったのかも知れない。
誰よりも、何が優れていたらいいのだろうか。
誰よりも早く走れたら、誰よりもテストで点数が高かったら、誰よりもお金を持っていたらー。
私は、お金を稼げそうな優れた才能や能力はもっていない。でも、才能や能力を持っている人や、実家が裕福な友達にも悩みがあり、テレビやYouTubeの人達にもきっと悩みがある。でも、隣の芝生は青い。
しかし、何かが、誰よりも優れていたらお金は手に入る。選ばれた人間と言われるのだろう。努力したのも苦労したのも分かっている。でも、羨ましく、醜い嫉妬をしてしまう。才能や能力が欲しい。
誰よりもー。しかし、こう思うこともある。
[もし、人と競うことなく、自分の価値観で生きられたらー。]
いや、私の場合はお金が邪魔をするだろう。
最近、突然送られてくるという、10年後からの自分への手紙というのがある。
高校の友達は、それについてみんな話をしている。
[なあ、手紙さ俺サラリーマンしてるって。]
[俺はさ、結婚したんだってウケる]
そして、当たり前のように自分にも聞かれた。
[おれ、…]
上手く誤魔化せなかった。自分には10年後からの自分への手紙なんて来なかった。10年後、今、高校2年だから10年後25歳。死んでいるのかもしれないし、めんどうで書かなかったのかもしれないし、書けない理由があるのかも知れない。
10年後、死ぬことを考えたが実感が湧かなかった。死ぬ、死ぬ
死ぬ、他人事だった。
ただ、自分の人生の感じ方が変わった。終わりが始まった。