最後の声
覚えていない
声も台詞も
最後になった
その後に
終わりだったんだなって思う
印象的な最後の経験がないだけで
そんな最後があるだとしたら
誰の声を思い出せるんだろうか
声よりも内容が残るはず
台詞を忘れてしまっても糧になる
そんな言葉や感情なら未練があるのかも
あるモノが剥がれ落ちて
落ちたモノは判らない
判らないけど明らかに剥がれて
それでも困らないし慌てもしない
失ってしまっても、もう問題はないから
あったから問題だったなら何かは判るはず
いつが最後になるか判らない
判らないまま最後になることもある
最後の声よりも
これまでの事柄や関係から掴み取れると思う
小さな愛
関心と行動
小さく、それでも伝わる様に
秩序や平和に繋がる
いただきます
ありがとう
たすけて、などなど
小さなってよりは細やかな礼儀かも
感謝が身近だと思う
要するに真似なんだけど
真似じゃなくなる
いつしか身に染みて感じられる
小さくはないかもしれないけれど
もしかしたら全てが小さな愛なのかもね
空はこんなにも
ひろいのに
なんで見つからないの
宇宙は有限
それは人が有限だからで
宇宙が無限なら
それは人類が無限だからかと
人が有り
宇宙がある
それが人としての宇宙
宇宙としてではない
人類が有り
人が有る
人が無ければ
人類はない
あらゆる源には人がいる
源が誰にでもある
空がこんなにもあることを人は知らない
誰にでもあるんだけど
他の空と見分けがつかない
境界線がないから誰でもなくなる人類
人を知らなくても人類はあるけど
人類の中の一部の人が人類に与えている
その源で継続されている
歴史、化学、宗教など
色々とある
1人の人として生きてるだけで
他の1人の財産になれる
子供の頃の夢
夢はなかった
夢がなくって良かったと思う
夢があると
目標があるから
歩き易いはず
子供の頃の夢って
周りに合わせてるだけで
多分、自分から夢を見てない
夢はって聞かれたから用意しただけ
私は夢をほぼ聞かれていない
保育園で用意させられたくらい
夢を強要するのは
洗脳に近いと考えてみる
自分の夢を盾に強要されたりする
子供の頃の夢は弱みなんだとも思える
遠い未来なんて考えられない
子供の頃もそんな余裕なんて無かったんだよ
明確に出来ないけど
生きてる主題は夢とは関係ない
どこにも行かないで
無理
特に頭の中
行こうとしなくても
どこかには行ってしまう
どんなに一緒が良くても
どこにでも着いて行けない
それぞれの場所で
それぞれで居ることすら
ほとんどの人には出来ないんだよ
それぞれで居るだけなら
1人に慣れれば出来るとは思う
だけど一緒には行けないし居れない
多数の人が
孤独を何故か恐れてるみたい
私はずっとそうだったから解らない
こっちからはその様に見えるだけの幻かも
んー
懐かしい
遠足とかで1人でいても
私はなんの疑問も感じない
でも何故か先生が来る
いまならその理由が判るけれど
程々に私と一緒にいても
大丈夫な人がいたら良いなとは思う
ずっとは無理です
何故なら目的を持ちたがるから