まだ続く物語
続くけど
物を語ると
物と語る間を書く
埋め尽くす事は出来ない
言葉で繋ぐ
言葉が語る
言葉を置いていく
言葉には場所がある
言葉と言葉
語ると聞く
続くから語り繋ぎ
繰り返すから語り聞かす
語られる事に意味なんてなくても
誰もが関係しようと努力してる
理解や解釈は様々でも
また語り続けられている
まだ考えようと感じて頑張っている
そこに価値があるんだと思ってる
理解や解釈が出来ないからって暴れないよね
渡り鳥
ツバメが忙しそうにしている
これから更に忙しなくなるだろうね
渡り鳥にしても
日々の日常の色々とかも
巡って、過ごしてる
過ごし易く
ある事に適した場所がある
人間なら里帰りに当たるんじゃないかな
私は里帰りはしない
生まれた場所も
育った場所も
学んだ場所も
それぞれで違うので
厳密に帰る場所がないし
興味もない
場所に帰りまではしないけど
立ち寄りたくなる時は向かってる
記憶にある場所になら行けなくもない
記憶との違いが時間を感じさせてくれる
人は生まれた場所に帰るとすると
人が死んでも
その場所に帰るんだと
実は生まれたその場所を知ってるんだと思う
さらさら
んー
川や髪
流れる様子
ひっそりと落ちる葉を見た
音もなく風にも乗らない
風が弱くもないのに
風なんて知らないかの様に
何処に行くかを考えてたんだけど
いつのも場所に行き着いてた
滞りなく血が巡る様子も、さらさらで
いまの目標の1つも、さらさら
滞りなく巡れる打配の選択を目指している
結果を繰り返して
結果の選別が出来ると
選別の為に結果を出しながら
結果も選別からも離れてしまえる
離れてしまえたから
飽きたり
さらに深めたり
他の選択肢が選べるんだと思う
さらさらとは全然に進めれてないけど
これで最後
終わらせられても
その後がある
終わったままの続きが
終わったからって
別に無くなりはしない
続けたからって達成はしない
外からは達成だけど
終わったから
続けたから
だからの先がある
可能性が見える様になるくらい
やってる事は同じでも
練度や精度の違いがあって
最後にしても色々とあるんだよって話
君の名前を呼んだ日
君
名前
呼んだ日
君を名前で呼んだ日
先か後の違い
主体がどちらにあるを感じる
君の名前を呼んだ日は僕が先で
君を名前で呼んだ日は僕が後かな?
どちらでもいいけど
どちらが先かで揉めるらしい
惚れた好いたが思いついたりもする
事後は継続されて
入れ替わり立ち替わり
お互いに主体があるんだけど
名前を呼ぶ事に抵抗があるのは
慣れの問題だと思う
立場や場所で使い分けたりするはず
君だけに向けて名前を呼んでる訳ではない
名前で呼び合ってると
確かに仲が良いなって私は思う