どんなに離れていても
ネットがあるから
会話も遊ぶことも出来る
出来ないことは沢山ある
でも、一緒にいてもそれは同じ
ネット上で共有が出来る範囲では
あまり不自由はない
現実との違いは間違いなくあると思うけど
どんなに近くにいても
同じ言語やツールがないと
会話も遊ぶことも出来はしない
遊びや会話なんてごく一部だと考えている
ほとんどの時間は離れている
慣れれば慣れるほどに離れられる
離れ過ぎていると
慣れてはいても距離感が行方不明
何かを相手にする時には加減が不可欠で
簡単が過ぎても
難解に過ぎても
相手になんかしてられない
「こっちに恋」「愛にきて」
んー
困ったお題ですね
恋をしたら
会いに行くんじゃない?
愛してなくても
恋は出来る
恋してなくても
愛も出来る
愛がなくて
恋がなくて
それでも欲はある
欲は愛を生む
欲は恋を生む
とも、考えられる
関係性を継続するには
恋とか愛で何かを求めるんじゃなくて
お互いに持つ何かを与え合うんだと思うけど
欲求に従い
欲求を共有して
それゆえに残った
幻想や妄想が間違えて繁栄してる
勝ち負けとか立場などが
勘違いに拍車を掛けている
お互いに負けてはいるんだから
気にしても仕方ないのかも
巡り逢い
巡っていても
逢わない
堂々巡りだったら
でも、いつかは跳ねる
要するに停止する
停止したからこそ逢う
同じ場所じゃなくなっている
同じ場所を繰り返し歩いてるのと
同じ様に歩いているのでは
全然違っている
同じジャンルと
違うジャンルくらいの差がある
ずっと巡っていて
何回も逢ってるけど
見えるモノは変わってる
同じで違わないのに変わっている
とりあえず終えることが続きを生むんだよ
どこへ行こう
悩んだら足に任せる
足に任せても判断は自分にある
なんとなくで進んでいて
行き先は特には決めていない
どこへ行くにしても
帰ってこれる範囲内で
どこまで進もうとも
自分にある
自分とある
ここがどこかを忘れない
ここも変わっていくけど
どこかには辿り着く
目指した先と今いる場所が違っていても
間違ってはいない
ただ上手く進めなかっただけで
歩いてきたことに違いはないんだから
さて、どこへ行こう?
big love!
全ては許されていて
全ては愛されているとしても
その全てに依存している
人は全てを愛せない
人は全てを許せない
人は全てを知りもしない
だから人は知ろうとしていて
知ろうとして術を模索している
どれだけ愛されようとも
どんなに許されようとも
人は全てを許容が出来ないと思う
許されず
救われない
これも愛の一部分
少しだけ自分を許し
少しだけ相手を責めない
そんな細やかな愛ならアナタにも出来るはず
その少しの部分を
アナタは何処に置くのか
少しだけ出来ると
少しずつ広がる
人により限界はあるけど
どれだけ大きな愛でも始まりはある
その大きな愛よりも更に巨大な愛があるかも