放課後
放つ課の後
どこかの綶に所属してる
そのことに違いはない
放たれた後でも所属はしている
家族や学校に地域など
日本に所属してることに違いない
ほとんどは国が所有してて
国により与えられた権利があるだけ
大概、一般的には困らないけど
意図された欠陥は無数にある
問題が見えていても
根幹に関わるから面倒で
問題から目を背けられてる
他の問題に出来るのは
他にも問題があるからで
要約すると私は悪くないって話
出来ない理由はあるけど
やらない理由はそこにはない
個人には限界が確かに存在する
しかし問題は個人だけではない
個人にある問題は他の個人にもある
1人だけの問題ではない
ネットで調べたら出てくる答えは
他の個人にも問題になってたからだよ
放課後なんて
そこから解放された気分になるだけで
関係は継続している
カーテン
ほぼ開けない
隙間から光が漏れてる
完全には閉ざせない
閉したところで他から漏れる
設計上あり得ない
人間も同じで
完全性は備わってない
完全性があるとしても
あくまで何かに対してでしかない
私から見ての完全で
その何かからはないはず
完成してるなら手を加える必要はない
そのままは駄目でも
その人なりに作り変えていい
全てから閉ざすことは出来ないんだから
涙の理由
理由が判っても
どうしたって溢れるもの
涙は理由を知らない
理由が涙を生んだ訳でもない
涙になったからって
解消された訳ではない
ただ不覚にも溢れたものが
涙だっただけじゃないのかな?
言葉を選ぶけど
言葉が選ぶ訳じゃないし
言葉通りに伝わる訳でもない
言葉になっただけで
あえて言葉にした理由なんてなくない
理由なんて知らなくても
慰めることは出来ると思う
ただ邪魔にならないように側にいるだけ
犬や猫なんかはそうじゃないかな
何も問わずに、語られるのを待つ
理解なんて必要ないくらいにそこにいる
ココロオドル
心踊る
期待と高鳴り
やがてくる
緊張からの解放
ゆっくり、じっくりと
過ぎた経験を巡らせては確認をする
それまではなく
これまでが変わる
有ることに気がつくと思う
在るのではなく
なくとも有る
誰かを介さないままに
ただ此処に
ほとんどは明かされることもない
直ぐ目の前にあるのに
束の間の休息
何処までが休息なのでしょうか
休みはなく
何かをしてたりする
仮に何もしてなくても
次への準備期間
活力になる何かが求められる
空は雨が休息なのかな
それとも晴れかな
過度に動かさなくても
身体は生きていて
休むことがない
活力の種類の問題だと考える
で、必要な事ってやってるんだよね
寝て食べて活動して
どれも生きてく為にある行動
貴方が思う
貴方がある為に
何を思うのか私は知らない
だけど貴方が思ったなら貴方にはある
私は間違いもあると考えるけども
考えるのは道筋で
思うのは塊としての情報で
どちらに寄り添うにしても
同じ場所にあるんだと判ると思う
当たり前に
判らない人もいると考えてる
判らない人の方が多数だと感じてる
別に気にしなくても生きていれるから
休息があるのだとしたら
それは束の間の解放で
問われない限り、二度と応える必要がない
そんな状態なんじゃないかな?