どこにも書けないこと
ないはず
0を考えて
量子力学は0を解明したくて
仏教は0から解脱したい
離脱しても解明しても
0はあるわけで
おそらく0を超えたい
0を0として捉えたいのかな
キリスト教は大半が0になり
キリスト教徒の一部が
この0から離れれる
天国は0の外にある考え
ではこの次元の外に何があるのか
外には次元があるとされている
数は無限だけど
数えられる数は有限
全てを数えられないから
果てしなく無限に近い有限
観測から導いても
それまでの観測からで
未知なるものが現れたら
それだけでは導けなくなる
まとめて簡単に表せるとして
それはどこにでも書けても
きっと意味をなさない
だからきっと
書けなくはないかもしれない
理解出来なくても
どんな文字だろうとも
ただ解析出来ない
ただ理解されない
言葉に出来るものも有限で
外にはいけない
でも内にはいけるかもしれない
そこに誰かがいるなら
時計の針
たまに見ちゃう
見てたら見続けれる
続けてたら何してたか忘れる
見てる時計はデジタルだけども
罠だよね
ちょっと待つこと
そのことが冷静さを生む
疑問に思うことで考え感じる
迷いまで来たら厄介だけど
迷ったら別の事をやると同じ感じ
溢れる気持ち
表現としてはいいとして
溢れて
広がって
よせかえって
始めて確認出来るんじゃないかな
そこに波がある
この波だけが気持ちではない
波だけが広がって繰り返されてる
それを感じて見ている
身体があれば血は巡る
身体も気持ちだし
血も気持ちだから
変化だと捉えらるくらいな
そんな体感なのかな
溢れたことはほぼない
溢れそうならあるかな
ただ制御は出来た
踏み止まれたと思う
あれはなんだったのか
それがわからない
この場合それを気持ちだと思う
その方が無難だけど
おそらくは気持ちではない
Kiss
どうかな
まず考えない
キスしたいとか思わなくない
可愛いとか綺麗
好き嫌いなどとは別に
盛りたいとすら思わないし
そこまで持っていかれたら
いけるとこあたりまでいくと思う
駄目だと思わないなら
それはもうそうゆうこと
勢いとか成り行きはあるはずでも
なるようになったなら
その場では勝敗は決してる
問題は継続を持続
終わりではく始まりで
終わっても続いている
そこにあり
ここにある
それはもうどうにも出来ない
不自然だなって思う
たまに目にはとまるけど
異性をあまり認識していない
見てることを自覚して
たまに自分に驚いたりしている
それでもKissとは別で
体付きだったりする
どうにかしたいとは思っていない
意識させるタイミングの問題で
それまでがあり
不意にそうゆうことって感じ
何かに狙われていると
警戒しちゃうし
下手な相手なら狙いが解る
誰でもいい訳でもない
何もないとこから
いきなり繋がることはない
したいと思うとしたら
その道中か事後
思うって言うか行動してるはず
いきなり何かを向けられても
何かなって思うくらいで
とくだん区別していないから
感覚的に触れられるのと
物理的に触れられるのは
ある意味で別
感覚から物理で感覚が好ましい
感覚のない行為は出来る
好意ある行為は明らかに別格
それが触れ合う伝わり
部位により高まるけど
部位そのものよりも
繋がっていると信じれてる
その感覚が実感では
ちょっとした確認なんじゃない?
1000年先も
継続してる予想?
人間ならではのやつで
他の生物らは気にしてない
その日その時を
今日も生きてるから
その時にやれる様にやるだけ
どんなに考えて
どんなに正しく判って
どれほど思おうと
出来ることはいまにない
人類だって他の生物と同じ
ただ見ようとしてる先が違うだけ
遥か彼方よりも身近な一歩が
その先を可能にする
目標にするにしても
あまりに遠いと無意味
進化とは遅れて対応した
その結果ではないかな
だからこれからに任せるしかない