好きな本
いまだによく読む本なら
西尾維新のクビシメロマンチスト
作家でよく読んでた人なら
西尾維新、森博嗣、辻村深月
銀色夏生、夢枕獏、星新一とか
おすすめとしてあげるなら
星の王子さま
アルケミスト
雪のひとひら
ふわふわ
あたりをすすめると思う
好きな本がお題だけど
好きってのがどうゆう好きによる
苦手な本でも
時間かけたら面白かった本もある
簡単に読める本だけど
二度と買わない作家もいるね
好きってのは経過で変わっていくよ
読まないと判らないから
とりあえず読んで見るしかないね
昔は好んで買っていた
ラノベゲームは沢山あるんだけど
いまは読まないけど
影響は受けてるから継続はされてるかも
知識ってのは調和するから
判らなくてもそれなりに読んでいくと
解るようになっていったりする
漫画だとありすぎて
まとまりがなくなるけど
読めたらほとんどなんでも読む
最近買った漫画だと
四コマ漫画ばかり
継続中は
未確認で進行系
ご注文はうさぎですか?
くらいなものだね
好きになるにしても
ひとしきり終わらないと
判断は出来ないし
それにこれからによっては好きは変わる
無理してまで読むべき本はない
あいまいな空
あいまいなのは空ではない
空はいつでも明瞭にある
空が含むものは
あいまいかもしれない
だけど
どれにしても
それぞれは明確ではある
一つにするからあいまいになる
そんな当たり前な状態
全体を完璧には把握は出来ない
動いているしわからないことも多い
空があいまいなどではなく
空の天気模様があいまいなんです
都合のいいことって
あいまいなことが多い
それぞれが理解すればいい
無理に一致させる必要があまりない
お互いにそのまま在れるなら
あじさい
赤と青
あと紫もだったけ?
花の色って沢山あるけど
なんでなんだろう
色々な人がいるけど
人は何故にこんなにもいるのに
人と違って当たり前だと解らないのか
不思議だよね
異様だとさえ思う
同じ生き物なのに
違う生き物で
違っているようで
その実は似たようなもの
多様性って違いなのに
多様性を攻撃する意味がわからない
違いが迷惑を被らないなら
それは当たり前なのに
なんでそんなに強要するのか
自分の身で考えたらわかりそうなのにね
好き嫌い
嫌いより好きの方が珍しい
大好きとなれば尚更
嫌いではないなら多数あるけど
嫌いも明確に嫌いなのは珍しい
苦手とか得意でないなら
それなりにあるはず
探さないと特に何も浮かばないから
普段から好き嫌いをあまり分けてない
嫌いなものに固執するのは面倒だから
向こうから向かってこなければ
基本的にはどうでもいい
好き嫌いだけでどうにかすることはない
くだらない奴はくだらない奴らで
勝手にほざいてたらいい
無価値以下の何かでしかすぎない
言葉が通じないし
思いは伝わらない
行動あるのみにならざるおえない
手には負えないから
放置されがちだけど
明確にした方が優しさだと思うよ
それがどれだけ
自らを下等たらしめるかを
無視されてても
奴らは気が付かないから
平気で居られるだろうなあ
あれが平常なら単なる異常者やね
おそらく相当の負荷をかけないと
自覚は出来ないんじゃないかな
自覚が出来ても治らないと思う
まぁわざわざ近づかないでいいし
理解しなくてもいい
そんなのも至って普通で
示される場所により対処するしかない
無関係で出来るだけありたいものだね
街
街に行くとしたら
直接手に取ってみたい商品がある時かな
消費するものはネットで買うこと多い
食料などはスーパーとか薬局、コンビニ
わざわざ街中まで行かない
街には街の良さはあるとは思う
それでもいかないのは
これといった用がないから
街って
ついでに通る場所か
目的地そのものだからね
街まで買いにいくとしたら
服靴本とかくらい
買うと決まってる本はネットで買う
漫画がほとんどですね
作家にハマるとしばらく作品を追って
本屋で買ってたりもする
いまはこれ読みたいって作家はいない
漫画は作家では買わない
アニメから入ることが多い
街がテーマだったね
ひと通り色々なものが
揃ってる場所ってくらいだね
好みはあまりないし
あるものから選ぶから
商店って好きだけどあまり寄らない
お気に入りを探して買うってより
たまたま商品に出会う場所ではあるね