子供のままで
子供になりたいなら
子供であればよくない
大人だろうが
子供だろうが
親はいるわけで
いなくても年長者はいるでしょ
それがいなくても国があるわけで
自分より強い権力もある
それらに全てを任せて
権利を自主的に放棄したらいいよ
子供になれたところで
末路は同じだろうけど
子供のころは
きっと大人になりたかったんだろうね
子供も大人も本当はない
人間としてならなおさらない
それは幼さからくる発想
現実逃避に過ぎない
子供のころには大人がいて
大人になれば子供がいる
子供のままでいたいって
大人が言ったなら
その大人は
ただ歳を食っただけの子供に過ぎない
子供になりたいって
思ったこともなければ
大人になりたいって
思ったこともない
なりたいものなんて何もない
なりたい職とかもでっち上げはしても
何もなかった
物心がついた頃には自分がいた
ただそれだけ
それでも狭い範囲だけど
選びたくないものは
選ばないようにしてきた
やってみたいことはやれる範囲で試した
ほとんどはよく解らなかった
いまでも解らないことだらけだけど
大人にならなければとは思わない
懐かしむのはいいけど
本当に望むなら
痴呆にでもなれるように
いまからでも頑張ってみてはどうだろう
愛を叫ぶ。
愛にも色々あるんだけど
まずは誰に叫んで
何を目指していて
何故叫んでしまったのか
叫んだ愛とやらは何をもたらす
それを聴いたものは愛だと思うのかな
愛だと思っていたものを叫んだところで
叫んだそのものは愛するものには
すでに愛ではなくなってるじゃない
愛が何かによるとは思わなくもないけど
何かを伝えようとしたら
それは変質する
その相手が決めていくことだから
それがどの様なものであれ
そのままの形には留まれない
愛を叫ぶって行為自体がただの迷惑
愛とは伝えるものじゃなくて
伝わるものなんじゃないかな?
その愛とやらに到達するまでは
それが愛だとは判らない
もちろん伝えようとするのはいいけど
何を愛だと思っていようが
叫ぶって行為は
叫んだあなたの為のもので
伝えたい誰かの為のものではない
相手に伝わるように伝えないと
それはただの叫んでるだけで
愛ではない
言葉も行動もそれそのものを表せない
伝えれるものはその相手のもので
あなたのものではない
探し出して貰えるように
色々やってはみても
それがどう届いてるのかは判らない
あなたに判るように
相手も伝えてくれたらいいね
モンシロチョウ
たまに見かけるかも?
それがモンシロチョウなのか正直不明
蝶は見かけてはいる
ただわざわざ
どの種類の蝶々なのか
区別することは出来ない
そんな知識もない
ぼんやりとでも判ればいい方
ググれば判るかもしれないけど
興味はない
そこそこ関係ある人の名前ですら曖昧
話せば区別出来たり出来なかったり
まぁ言い訳はさておきまして
蝶かって思うくらいでしかない
蝶と言えば胡蝶の夢くらいが妥当?
蝶になってる夢なのか
蝶が見てる夢なのか的なやつ
そんなのはその時には関係はなく
蝶にしろ人間にしろ
それなりに生きたらいいと思う
どちら側にしたって大差はない
蝶には蝶の
人間には人間の生き方があるから
夢か現実
それがどちら側でも
自分の意識があるのなら
それに従って生きてくだけだから
問題になるとしたら
その意識とやらは
本当に自分のものか?
それに尽きると思う
自我超自我イドどれによるものにしろ
自分とは何でもなく移り行く夢のよう
それでいて確かと思える自分
夢の現実 現実の夢
どちらにしても同じ脳が見てる夢
自分が見てる夢なら
自分は夢なのかもしれない
他者が居なければ
自分がなんであれ
何処にも辿り着けない気もする
自分とは他者と区分けする領域
聖域とでも言えば判り易いかな?
誰も正確に自己を認識は出来ない
他者や世界を通して
認識した何かでしかない
それでも自分として生きてく
ただなんとく
理由を明確に出来たとしても
そんなのは説明してもキリがない
価値がないとも思える
そんな説明よりは
自分に恥じることなく
自分を生きていきたいね
誰の為でもなくただ自分の為に
忘れられない、いつまでも。
それに拘ってるなら妄想や妄執
実際には忘れることは出来ない
でも正確に思い出せることも出来ない
覚える気や興味なければ忘れはする
言われたら思い出せるけどね
あー言ってた気がするくらいには
ただそれなりに注力してたり
日常的に使ってたりしたらまず忘れない
衣食住は短期的に忘れてても
必要になれば思い出す
身体が強制的に要求しだす
忘れてても概念や観念は残ってたりする
言葉として覚えてないけど判ったりする
忘れたいなら他のことに意識しましょう
なんでもいいけど
一時的には忘れれる
そして徐々に違う方向に向かうのがいい
忘れられないのは当人で
他者は基本的に忘れてるのが普通
忘れられなくても
いちいち思い出さなくていい
そこに何があるのかは知らないけど
いつまでもそのままであるものはない
生きてれば変わっていくから
忘れられない意味も違っていく
そうならないものはない
昔のままを覚えていることで
現在に弊害が生まれる
人って何故か若くあろうとする
若くある人は気にしてなかったりする
今に順応してる人は
過去を良かったものとして
あまり持ち出さない
こうゆうこともあったよって参考程度
いまとの違いとして認識してるぽい
昔は良かったって人は現在を生きてない
昔も良かったでいいと思う
昔より現在のが良いと私は思う
色々不具合もあるけど
忘れられないんじゃなくて
忘れたくないんだと思う
その人にとっての良し悪しは別にして
忘れられなくても
距離を取ることは出来るから
忘れられないことを気にしなくてもいい
一年後
一年後は一年後だね
一年後に過ぎない
まだ来てないから未来
いまから向かうはずの未来
過去現在未来
過去のままなら現在になる
不確定要素があるから現在はいいすぎ
だけどおおよそはそんなもんだね
上手くいかない人達が
未来はとか言うけど
現在であり過去である
上手くいかなくても挑戦してる人達なら
過去からくる現在
未来を何処に置いてるかによるし
目標までの距離に依存する
思考的行動か感情的行動だと思われる
未だ来ないとかいて未来
未来は観測出来ない
観測は出来ないけど
過去から現在にいたる道が
多少でも学習出来てるなら
ある程度は予測出来る
未来は過去から現在への道だから
現在は過去によるなら
未来は現在見えてる過去からくる予測
未来は現在には存在しない
現在から作り上げていける創造物
もちろん未来はいまから作れるから
現在からそれなりに用意したい未来なら
それなりの準備が必要です
ちょっとした未来なら
明日の為に今日何かをやってるでしょ?
それが明日には役立つ
それはどの様な未来の為にでしょう
それなりにみんな知ってると思う
スケールや距離は大切だけど
目標が大きければ大きいほどに
でも
現在からの積み重ねと
不確定要素をいかに予測してから
目標に向かっていけてるかだろうね
単純な未来が知りたい場合は
身近にいる同類の年長者でもみてみたら
大体は似たような未来になるはずだよ
どう思えるかは別にして
似たような道の様々な未来を
彼は現在体現してくれてるからね
ちゃんと過去から学ばせてはくれるよ