August.

Open App
10/29/2024, 2:40:02 PM

〈もう一つの物語〉

10/28/2024, 12:31:54 PM

〈暗がりの中で〉

私は閉所恐怖症だ。特にエレベーターが怖い。どのエレベーターが怖いかと聞かれると、私は必ず上る時や下る時に照明が消えるエレベーターだと答える。
あの上っていると分からせる重力に加えて、暗闇で見えない状態になると、動悸がする。
最近のエレベーターはそんな仕様はない。少なくとも、今まで見たことはない。ただ、幼い頃、テーマパークへ遊びに行き、泊まるホテルのエレベーターがその仕様だったのだ。幼い私は「怖い」という感情を上手く伝えることができず、泣きながら過呼吸になった。それ以来、エレベーターを使う度に緊張するようになった。

「じゃあ、上村頼んだぞ」
上司からそう言われ、大手の芸能事務所へ足を運んだ。
私はぺこりと頭を下げ、会社の外で待っているタクシー運転手に行き先を伝え、流れる景色を窓から見ていた。
契約を結ぶというのは、子どもの頃の指切りげんまんのような軽いものでは決してないことに気づいた。そんなのは、当たり前だが、今まで順風満帆な生活を送ってきた私は、社会人として少し世の中を舐めていたのかもしれない。エレベーターを除いて。

「着きましたよ」
運転手の声ではっと気が付き、経費で払い、目の前にそびえ立つ事務所に圧倒された。今や世界を握る事務所との契約を任されたという自覚が、今になって引きずる。
事務所に入り、カウンターで受付を済ませ、待っていた担当者と挨拶を交わした。
40代、いや50代くらいだろうか。白髪交じりの高身長な男性は、年齢が娘でもおかしくない私でも物腰の柔らかい対応をしてくれた。

「では会議室は12階にあるので」
その一声で背筋が凍る。
大丈夫だ、今まで数々のエレベーターを乗ってきたが、照明が暗くなるエレベーターとはあったことがない。
大丈夫、大丈夫。
私は心の中で言い聞かせ、担当者と一緒にエレベーターに乗った。
案の定、暗くならない仕様のエレベーターだったようで、安心する。
これなら大丈夫だと私の脳も認識したようで、私から担当者に、最近勢いのあるアーティストについて話しかけた。お互い同じことを考えていたようで、意外にも盛り上がり、担当者と束の間の談笑を楽しんでいる中で、急にエレベーターが止まった。
照明が落ち、真っ暗になった。
「あっ、止まっちゃったかな?」
担当者は冷静にスマホを取り出し、ライトを付け、エレベーターの緊急事態ボタンを押した。
しかし、そんな冷静な担当者とは、反対に私は息苦しくなった。何とか耐えてたつもりだったが、私の乱れた吐息に気づいたのか、担当者が私の顔をのぞき込む。
「もしかして閉所恐怖症ですか?」
図星を突かれ、どうすることもできない私はこくこくと頷くことしかできなかった。
「大丈夫ですよ、私の妹も閉所恐怖症なんで。対処法は知ってるつもりです」
そう言い、ゆっくり呼吸するように促された。

この3ヶ月半、このプロジェクトのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
だが、やると決めたからには必ず結果を残さなければならない。
学生気分でいたら恥ずかしい。と自分で喝を入れ、何度もリサーチやマーケティングに励んだ。

今日初めて会った人とは思えないが、担当者の柔らかい声に意識が遠のいていった。

10/28/2024, 8:12:06 AM

〈紅茶の香り〉

仕事が終わり、久しぶりに駅前にある雑貨屋へ向かった。今日、同僚が勧めてくれてその雑貨屋の紅茶が美味しいとのことで。気づけば自然と雑貨屋へ向かっていた。

店内はこじんまりとしており、なんの曲かは分からないが、オルゴールが店内を潤していた。

「いらっしゃいませ。何をお探しですか?」
20代あたりの女性が声をかけてきた。丁度、自分の妹と年齢が近そうでいつもであれば断るが、今回は答えてしまった。
「紅茶を探してて。同僚がここのアールグレイがとても美味しいと聞いたので」
「ありがとうございます。こちらの商品がうちの目玉商品です」
同僚が見せてくれた商品と同じパッケージをした小さな小袋だった。

「じゃあ、これを1つお願いします」
私は会計を頼み、店を後にした。
小さな袋に入った小袋からふんわりと香りがした。

10/24/2024, 11:45:29 AM

〈行かないで〉

祖母が死んだ。
優しい祖母だった。
世界で唯一、私のことを理解し、肯定し、愛してくれる存在だった。
急な交通事故に巻き込まれ、3時間集中治療室で治療を受けたが、見込みがないと言われ、祖父が延命治療を中断させた。

喪主は祖父が務めたが、誰がどう見てもも抜け殻のように顔が真っ青で、今にも倒れそうな勢いだった。何度も隣に座る父が代弁したり、祖父の背中をさすっていた。
最初は、父や母たちは喪主は自分がやると言ったが、「最後ぐらい母さんの隣にいたい」という祖父の要望で決めた。

葬式が終わり、火葬場に着いた。
火葬場のスタッフが、祖母が眠る棺桶を外に運び出し、納棺の流れに入った。
祖父もわかっているのだろう。
これが終われば、とうとう最後の別れを告げなければならないことを。
時間が止まればいいのにと思ったが、現実は残酷で、「皆様、最後のお別れをしてください」と喪服を身にまとうスタッフが言った。
それぞれが祖母の顔を撫でたり、頭を下げたりする中、ひとり、祖父はソファーに座っていた。

私は最後の別れを告げた。
おばあちゃんっ子だった私だからか、両親は一番最初に祖母と話すよう促した。
祖母がつけていたネックレスを外し、自分の首に着けた。金属製のネックレスで、海に入っても錆がつかないとよく自慢していて、祖父が還暦祝いに買ってくれたものだ。それを孫である私がつけるのは生意気に見えるかもしれないが、生前祖母の口癖で「ばあちゃんが死んだら、千穂にあげる」と言われていたため、つけさせてもらう。
ネックレスのはずなのに鎖のように感じたのは私は気の所為だろうか。
祖母が死んだという事実が今になって、私を首につけてるネックレスから足先まだ襲ってきた。そして、それは私だけではなかった。ソファーに座る祖父も同じだった。
祖父は祖母がつけていた結婚指輪をチェーンに通して、私と同じようにネックレスにしていた。
あまりにも祖母を失った悲しみに耐えられない姿を見せる祖父が、心苦しくて火葬場へ向かうバスの車内で私が提案した。
「プレゼントにはそれぞれ意味が込められてるの。特にアクセリー系はそうなんだよね。指輪は契約、約束。ネックレスは『永遠にあなたと居たい』っていう意味があるんだよ」
「そんなの、どこで覚えてきたんだ?」
「女の子は気にするんだよ?もらったプレゼントの意味とか、特にあげるときはね」
「じゃあ、この母さんの結婚指輪はネックレスにしようか」
「そう言うと思って、チェーンあるよ。あげる」
「お前は母さんと似て、準備が良いな」
ふっと祖父は祖母が死んで初めて笑った。

最後の別れが終わろうとしたが、肝心の喪主がまだしていなかった。スタッフは気を遣って無理はしなくて良いと言ってくれた。しかし、祖父は無言で立ち上がり、祖母のもとへよろよろと近づいた。
自然と周りの人間が、道を作り、最後の別れの時間を惜しんだ。
祖父は祖母の顔を撫で、なにかをつぶやいた。
なんと言ったのか私には聞こえなかったが、そっちの方が良いだろう。愛し愛される人間同士にしか分からないものだってある。

「では、この赤いボタンを押してください。すると、火葬が始まります。どなたか、1名押してください」
父が手をあげようとしたが、「私がやります」と祖父が遮った。父は止めたが祖父の頑固さを知っているのか、黙って後ろに下がった。

「ピーーー」
無言でボタンは押され、その場にいた人たちが合掌を始める。それがマナーだと教えられてきたからだ。故人を悼む気持ちを込めて、合掌をするのだと教えられたが、祖父はボタンを押した直後、部屋を出て行った。
ぎょっと親戚たちは祖父の行動を見ていたが、私たちは知らないフリをしてそのまま合掌を続けた。

控え室で親戚たちが祖父のマナーの悪さで話が盛り上がる中、私は部屋の隅でネックレスを触っていた。
本当に死んだんだな。
人間はいつか死ぬ生き物だと頭では理解していたが、理解しているつもりだったようだ。未だに夢だと言われても頷いてしまいそうだ。
「千穂、おじいちゃんの様子見に行ってくれる?」
親戚たちの対応に追われてる母から言われ、祖父を探しに行った。
しかし、どこに行っても見当たらず、先ほどの火葬でお世話になったスタッフと会った。
「あの、前田寛はどこにいますか?先ほど祖母を火葬した際、ボタンを押した者なんですが」
「あぁ!お祖父様はあの部屋にいますよ。火葬部屋に。私共も『控え室でお休みください』と言ったのですが、離れたくないようで。恐らく今もいらっしゃいますよ」
「そうなんですね、ご迷惑おかけしました。ありがとうございます」

私は急いで火葬部屋へ向かった。
ソファーに座る祖父の背中姿が見えた。
声をかけようとしたが、祖父の声で遮られた。
「行かないで!行かないで…なんでなんだよ!」
顔は見えないが、きっと鼻水と涙、涎まで垂らしながら泣いていた。
私は祖父の横に座り、火葬が終わるまで待っていた。

10/23/2024, 12:08:40 PM

〈どこまでも続く青い空〉

ベランダに出る。

Next