明日もし、晴れたなら録り溜めていた金曜ロードショーを見よう。
そう思ったのは生憎火曜の雨の日だった。
高校生になってから、恐ろしい程時間が取れなくなってしまった私には、悲しいかな金曜日の夜に土日への期待を膨らませながら見る金曜ロードショーを見る時間すら無くなっていたのだ。
元々、社交性の無い私は学校でずっと気を張っていて、なんだか少し疲れてしまっている。
そんなんだからかな、最近は少しネガティブになることが多いような気がする。
それじゃいけないと、気分転換をするために私は明日晴れたら学校をサボって金曜ロードショーを見る。
これはきっと、私に必要なこと。
明日の降水確率は30%。
どうか、明日晴れますように。
地獄に落ちた事のある人ならば、分かるであろう「何一つ希望の無い状態」のくるしさ。
地獄なんて、堕ちたことのある人間一人も居ない、居るとしても漏れなく皆死んでいるとそう思っただろうか。確かに今現時点、「地獄」と形容された物を聞いて大多数の人間が思い浮かぶのは、所謂あの世の事だろう。
だけれども、私は思う。そんな存在するかどうかも知れぬその地獄よりも、この社会には余りに強大で巨大で屈強で頑丈で理不尽で非合理で不条理な地獄が、世界各国たくさんあると。
例えば、会社。例えば学校。例えばSNS。
挙げ出せばキリがないほどに、私達の生活は地獄で満ち溢れている。私が普通に生活出来ている場所だって、別の人から見てみれば地獄なのかもしれない。何時も一緒に過ごしている彼女だって彼だって私から見れば普通で平凡で一般的で平均的なこの景色だって、もしかすると、地獄のような、深海のような、深淵のような、そんな場所に見えているのかもしれない。
地獄で希望の無い苦しみは、私には測りきれないし、おおよそ測ろうとも思わないけれど、そんな人に希望を、とまで大それたことはいわないにしろ、支えになれればいいなと少し思う。
欲とは汚いものだと、要らないものだと、私は思う。
あぁなりたい、こうなりたいという欲があるから、そうなれない自分が酷く醜く、醜悪に、醜怪に、見えてしまうのだ。
だから、自分の理想とかけ離れた人間を卑下して自分を保とうとする。
そうすることで、少し自分がマシな人間であるような、少し理想に近いような、そんな錯覚に陥る事が出来るのだ。
陥る、なんて形容したが、無意識に、必然的にそうなっているのではなく、故意にその錯覚を見ようとしているので、陥るなんて言ってはいけない。形容するに相応しいのは浸るだろう。
自らの錯覚に浸り、他人を見下すことでしか己を上げることができない。
人間として、屑で塵で醜劣で目も当てたくないような、そんな、人間に成り下がっているのに、感覚としては、上がっているのだから不思議なものだ。