つい最近、
毎日やっていた唯一のゲームがサービスを終了してしまった。
発表がされてから終了するまでの期間、
不安で生きた心地がしなかった。
しかし、きっと次の場所へ発つ時なのだろう。
たとえその先で入道雲に突っ込むような困難があっても、
学んできたことを胸に強く進み続けなくてはならない。
それが私のするべき弔いなのだと思う。
※お題と関係なくてすみません
夏と冬だったら、断然夏の方が好きだ。
“寒いのは厚着すればいいけど、暑いのは脱いでも暑い”
なんて言い分をよく聞くが、
厚着をするというのは荷物を増やすことに等しいし、
「暑い」よりも「寒い」方が体に気を遣う必要がある。
それに私は「暖かい」よりも「涼しい」方が心地が良い。
極めつけは、夏は夜が寒くない。
夜空の下で散歩をするのが好きな私にとって、
冬場の夜は体にこたえる。
軽装でフラっと歩くのが開放的でリラックスできるのだ。
これ以上は長くなるので割愛するが最後に一言。
私は夏よりも秋の方が好きだ。
~夏~
自分は別の世界から来た存在かもしれない。
そう考えたことがある人は少なくないだろう。
荒唐無稽だがロマンのある可能性の一つだ。
ある日、本当の理解者が現れるかもしれない。
では実際どうなのか、
実のところそれを確認する手段はない。
過去の全てが捏造であることを否定できないからだ。
不慮の事故で記憶を失った漂流者か。
壮大なプログラムに組み込まれた実験台か。
あるいは電極に繋がれた水槽の脳か。
幾多の可能性が何重にも重なっている。
思考というものは人間の最も自由な機能であり、
決して揺らぐことのない尊厳だと考えている。
たとえそれがどんなに残酷な現実であったとしても。
~ここではないどこか~
何気なく出会ったあの日のように
その日も自然に別れただけ
積極的に会う関係でもなくて
タイミングが悪かったとか
そういう気分じゃないとか
何となく会う機会を逃していって
そのうち
会うには理由がいる関係になってしまった
実は好きだった?
なんてのは都合が良すぎる気の迷い
あの子に会いたいと思っていい資格はなかった
それから二度と会うことはなくなって
記憶も感情も曖昧になって
それでも偶にフラッシュバックする
なんでもっと優しくしてあげられなかったんだろうって
~君と最後に会った日~
どんな色でどんな形か
育つ環境で無限に変化する花
可憐な花や豪快な花
歪な花や毒々しい花
どんな花になるかは咲くまでわからない
しかし中には
咲かないまま枯れてしまうものや
誰にも愛されないまま枯れてしまう花もある
この花が何のために生まれ
そして何のために咲くのか
確固たる答えは未だに明らかになっていない
一つだけ言えることは
真実に囚われたものから枯れていくということである
~繊細な花~