こびり付いた劣等感と
取り戻せない機会損失は
“やりたいこと”を
“やりたかったこと”に変換させる
“やりたいことはたくさんある”
けれど考えれば考えるほど
頭の中に良くない言葉が侵食して心はさらに黒ずんでいく
これ以上はだめ、今日はここまで
私は心身の自由のためになることだけがしたい
~やりたいこと~
朝日で起きたのは学生以来かもしれない。
今じゃ朝起きる時はアラームだし、
休日はそもそも朝に起きない。
というか眠い頭に陽の光は痛すぎる。
朝日で起きて一日を優雅に過ごす。
昔はそれが当たり前だと思ってたのに、
いつからこんな温い幻になってしまったんだろう。
~朝日の温もり~
何かを新しく始めるのと同じくらい、
続けていた何かをやめるのには勇気がいる。
例えば毎日綴るこの散文。
飽き性の私にしてはよく続いている。
だが正直、面倒だと思うことは多い。
他のやりたいことが手につかないし、
思いつかなくて夜更かしもよくするし、
やめてしまいたいと思ったことは何度もある。
それでも懲りずに書いている。
やめるか続けるか、
もしかしたらやめた方が良かったりするのかもしれない。
しかし進むべき道がわからないうちは、
何かを続けることで、
人生が良い方向に向かっていると信じたい。
結局、今日も書いてしまった。
~岐路~
「今日で世界が終わるなら何がしたいか」だって?
その話は何度もしたじゃんか
いつも通り過ごすだけだって
……今日の予定?
全部キャンセルになっちゃって暇だよ
まあそれもそうか
でもそのおかげで
こうやって一緒に話せるし悪くないかな
おいおい、なに泣いてんだよ
まったくしょうがないな
今日はずっと話し相手になってやるよ
本当だって
それで何の話をしようか?
離れたりしないから心配すんなよ
終わりの時も一緒だ
~世界の終わりに君と~
ゲームをしていて、
あと一歩というところでやられたり、
ここぞというところで失敗したり、
そういう時に「最悪!」と叫ぶことはある。
でも案外「最悪」は悪くなくて、
ゲラゲラ笑いながら楽しんでいたりする。
本当の本当に最悪な時は、
もう何も言葉が出ないからね。
~最悪~