街へ
商店街、かつて栄えていたその場所は、僕を吸い寄せる。
1月、週末、受験勉強、図書館の横、昼ごはんを食べに僕は、まっすぐに商店街を歩く。
今ではシャッターがしまっている、この店、古びたこの壁もにぎやかな声を聴きながら、沢山の人を見てきたと思うと、少し寂しく思われる、
盛者必衰、僕がおじいさんになっているときは、何が残っているのだろう。
だが、たとえ、商店街の街並みがなくなったとしても、僕だけは今日食べた肉うどんの味を忘れないでおこう。
優しさ
何が優しさなのだろうか。僕はいつも考えてしまう。クラスメイトのペンが落ちたとき、拾ったほうがいいかな。一人の子に優しくしたら、変なふうに思われないかな。
僕はただ単に、周りを気にし過ぎているかもしれない。でも、周りは私を写す鏡でもあると言われる。そう考えると、自分が困ってると思ったら、絶対やったほうがいいと思う。
ところで、僕のお母さんは、よく心配性だと言われる。例えば、お母さんはご飯を出すときに、味薄いかもとか、美味しくないかもとか言ってしまう。すると、お父さんは、すごく怒る。
また、僕が実家に新幹線で帰って来る時、駅から家に歩いて帰る連絡をすると、車で迎えに来てくれる。心配しなくていいよと言っても、言う事を聞いてくれない。
お母さんを見ていると、毎日誰かのために動いていると思う。それは、お母さんがお母さんである所以なのかもしれない。でも、それはいつか壊れそうで、怖いと思ってしまうときがある。
僕はお母さんを尊敬するけど、お母さんのようにはなれそうにないかもしれない。他の人もそうだが、自分のことを自分が一番大切する自分への優しさ。それも大事なことなのかもしれないと思う。
ミッドナイトは日本語訳で真夜中という意味がある。また、それは僕にとって地獄になるか天国になるかはレポートの終わり具合に任されていることがほとんどである。
真夜中の清々しい眠りは僕の朝に勇気を与えてくれる。逆に、レポートにおわれて眠れない日には、憎たらしく思われる時もある。僕の周りは、文章を書くことが上手い人ばかりいるように感じる。けれどそれは、変えられない。僕が文章を書くことが苦手なのは、書き始められないとこに原因があるかもしれない。
頑張ろう悠。休みを最大限楽しもうじゃないか。最後の辛坊だ。走りきるんだ。