冬は一緒に
そばにいなくても
記憶の中から思い出せなくても
クリスマスと年越しだけは越すことだけは確定している
幸せそうな人を傍目にでも
ゆく年くる年寂しくも
隣にはいなくとも
一緒の節目で私だけ置いていかれるのが確定している
冬は一緒に虚しくならなくてもいいわ
取り止めもない話
雑談程度の話だが
明らかにイレギュラーなことに慌ててるそぶりなのに明らかに順序よく話す人間はとりあえずいったん疑うらしい
時系列が綺麗すぎて違和感を感じるんだなんだとか
聞き込みのシチュエーションで
「あ、そういえば○○だったような」
「「「!!」」」みたいなことが
かなりありうる
一方で
井戸端会議は井戸端会議なりの信憑性が高まって話に花が咲いていればある意味まとまりはあるという皮肉かもしれない
風邪
この時期になると風邪をひいていたなぁ
なんて冬の冷たさを心配する人がうまれる
暖かい時期になっています
何でもないフリ
恥ずかしい
厚かましい
勇者を知った人間が
きっとどうにかしてくれるですますように
おかげで
でも木陰で
村人Aって感謝がどのくらいあるんだろうとか
そもそも感謝が必要なのかとは
おんなじセリフばっかり繰り返して
実は歯がゆい人なんじゃないかとか
よくよく考えてしまう
ありがとう、ごめんね
愛してしまったから仕方ないといって慰謝料を渡して噂の類も真摯に努めるといって離れていった人間を見かけたら
悪役も溜まったものじゃない
あと少しで隣が手に入らなかったから
ありがとう、ごめんねを同時に言う場合にもそのあといいよなんて生ぬるい言葉が続くのではない
自分で傷口をつくっても人から塩を塗られることがあることと
傷口はどちらも一生塞がらないことと
ハッピーエンドにならなかった人間がいるということを覚えていたら
悪役は誰がからの視点であり絶対悪ではないので他人が嘲笑する必要はない
転んで立ち上がらず八つ当たりした人間だけが裁かれるように祈りたい