平穏な日常、それは生きる上で大切な条件。
でも、平穏な日常の中で一週間に一回だけ、いつもよりほんの少しだけ挑戦する日を作ってもいいのかもしれない。
いつもの自分よりちょっとだけ上を。
そんな日の繰り返しでもっと知らない世界が見えるようになるかもしれない、人生が楽しくなるかもしれない。
無理をしないくらいのちょうど良い挑戦、小さな気遣いが、誰かを救うかもって、より素敵な自分に出会えるかもって思うと前より人生がキラキラするよ˚✧₊⁎
<実話>
私は、4年前、最愛の親友と共に中学受験に挑んだ。
互いに刺激し合い、毎日10時間以上勉強し、前日にはそれぞれにお守りを作って、合格したら、あの公園に集まろう、と約束した。
だが、その日は来なかった。私はギリギリラインで合格、親友は私より点数が高いのに不合格の結果となった。
一緒に描いていた夢も学校生活も、その涙と共に消えた。
それから私は中学、高校と進学していく最中、うつ病になった。今までは集団の中でもトップを突き進んでいた自分が、それ以上にトップな集団に入れられ、挫折、敗北ばかりだった。最初はそうだよな、頑張らないとと自分を畳み掛け、責めてなんとか平均までのぼりつめることができた。だが、その分私の精神は削られていった。
もともと私は繊細な子だった。昔から人の心を人一倍わかっていたし、誰から見ても「優しすぎる子」と印象づけられるような、そんな子だった。そのため、自己犠牲するのが苦ではなかった。むしろ好きだった。私の少しの気配りで相手が笑ってくれるのを見ると生きてて良かった、役に立てたと思う。人をほんの少しでも笑顔にしたい、助けたい、優しさを配りたい、それが生きがいだった。
だが犠牲にした分の代償は必ずやってくるのだ。勉強に苦しむ最中、疑問に思った。どうして私ばかり頑張らないといけないのか、どうせだれも私のことなど思ってもないのに。自分なんていない方がみんな幸せなのではないか、と。進学校に入ると気づいたことの一つは、小学校の頃より自分の利益を考え行動する人が増えたということだ。私はその考えを受け入れられず、たくさん裏切られ、だんだんと「どれがあなたの本音?裏では…」と必ず考えるようになった。
それでね、このままじゃ私、利用されるばかりだって気づいたの。だからね、私の長所であり生きがいでもある私の心の核心、「優しさ」の扉を少し閉めないといけなくなったよ。大好きだった「人」とも心の距離を置くようになったよ。そしたらさ、朝起きるのも動くのも話すのも、何もかも辛くなったんだ。
きっと精神的に辛い時期だったからだと思うけど、本当に毎夜そう思っては誰にも見られぬように泣いた。たくさん考えた。
だけどね、私まだ死ねなかったの。
どうしてって、私には「親友」という生きがいがあるから。あんなに丁寧に折ってくれたお守り。いつも私の不調にいち早く気づいてくれた、一緒に笑ってくれた、たった1人の親友。
親友がいまも生きてる、また会える。ただそれだけで私は生きる意味があったの。
私は今高1。親友は今も変わらず健在。
私の今のモットーは「昔と変わらない自分でいること」
あなたのモットーはなんですか?
今日の思考
人間は言うまでもなく、他の動物と同様に生き物である。よって、無意識にみな「野生」を本能的に望んでいるはずだと私は思う。つまり、「自由」を望んでいるということだ。生き物の自由、それは、自分の本能や欲望に従い、行動または感ずることができる状態のことだ。つまり常識や周りの目などの何にも縛られず、良いとされる行動も悪いとされる行動も関係なく実行できるということだ。ところが、今日の人間は悪い行動はよっぽどのことがない限りしないであろう。これは、目立たぬよう周りからの目を気にしたり、他の人たちのように良い人でいなければならないといった感情から、自分自身の心に自ら制限をかけている結果と言っていいだろう。しかし、先ほどのように、人間が生き物であることに着目すると、人間は本当は良い悪い関係なく、自分がしたいと思ったことをしたいという己の制御からの解放を望んでいることがわかる。
ところで、今までに他人の短所を見つけ、安心した経験のある人はどれだけいるだろうか。きっとどんな善人や前向きな心持ちな人でも追い詰められた時、人の弱いところを知りたいと思った経験は一度はあるだろう。それはどのような心理作用であるか考えた時、人の悪いところ、弱いところを見つけた時、「まだ自分はましだ」とか「この人もこんな悪いことしてるんだし私もしてもいいのでは」など自分に対し許しを与え、安心させるための行為であると考えられる。この代表例が現在の人々の政治の見方や有名人に対する不倫への目である。裏金問題や不倫などは人々が悪いと思うことの代表例であり、それを日本を代表する、または著名な人物がしているのだから尚更だ。ただ、それになぜ人々がこんなに敏感なのかといえば、人の悪を見て自分を安心させたいからなのだ。そうすることで自分らの自由の範囲を広げる。
良いことをすることは自由である。なぜならば言わずもがな、良いことをすればするほど高評価であるためだ。それに対し、悪いことをすることは不自由だ。子供の頃の嘘くらいなら許されるが、犯罪や道徳観に欠けた行為は許されるものではない。
そこで、みな自由を求めるために悪が許される範囲を広げようとしているのだ。よってみな人の短所を見つけそれをつつく。そしたら自分もしていい、大丈夫だと思える。そして自分の自由範囲を広げる。
人の暗い一片を見た、心の本質である。