長年の疑問や当たり前に思っていた心の癖や習慣が解放されるなんてことあるのだろうか
罪悪感や自己嫌悪から逃れるため本心を偽り続けてきた生き方。
それがある日何か腑に落ちる思想が生まれて、まるでもうありのままの自分として人生を新たにやり直すみたいなことなんて‥あるのだろうか
人生という長い旅路の果に心の解放はあるのだろうか
私はどうにもそんなことはないように思える
人生、映画のようにはいかないのではないかしら
誰しも何かしら窮屈なものを抱えたまま生き、何とも言えない心苦しさを胸に押し込め、人には伝わらない鈍痛を心に閉じ込めているのではないだろうか
そしてそれは解決もなく、解放されることもなく、モヤモヤを抱えたまま死んでいく
悟らない、完結しない…からいいのでは
仮に悟り、完結し、解放されたらまた新たなモヤモヤが生まれる
人間とはそういうものではないだろうか
どうして人はいつか死ぬのに生きるのかを子供の時から考えていた
どんなに努力して何かを得ても
あと少しで夢が叶うというところまできても
コツコツ積み上げてきたものがあっても
ある日突然あっけなく死ぬことだってある
「人生は死ぬまでのただの暇つぶしだよ」
そう言う人もあったが
暇つぶしにしては辛いことや悲しいこと理不尽なことが多すぎる
生きたい人は生きて
生きたくない人は死ねる
そんな安楽死制度のようなものがあり
生死が自由に選べたらいいのにと思ってる
私が今生きる意味は
私が死んだら悲しむであろう母と姉
そして婚約者がいるから
何度も何度も死にたいなぁ、面倒くさいなぁ、もうやめたいなぁ、って思ってきたけど私を必要としてくれる家族がいるから生きる
その三人だけには悲しい思いをさせたくないから
ずっとこのままこたつに入ってゴロゴロ過したい
ケンカした
会わない日が長くなるとケンカする
一緒にいればポカポカ温かいけど
離れてるしケンカもしたから
余計に寒さが身にしみる
今日は仕事も休んだ
明後日誕生日なのに悲しいや
20歳のとき最愛の父を亡くした
父は56歳
ガンだった
成人式には行かなかった
振袖着てお祝いする気分ではなかった
あれから20年たつが
父を亡くした悲しみは癒えることはない
人は時間が解決してくれるというが
欠けてしまった穴は塞がることはない
家族を亡くしたことのある人
最愛の人を亡くしたことのある人
…誰でもそうなのではないだろうか