【微熱】
37度3分。
これなら行ける。
顔も火照ってないし、咳も出てない。
身支度を終えてカロナールを飲んだら、パンプスを履いて家を出た。
すし詰めにされた人達と一緒に電車に揺られて職場に着く。
仕事をこなしながらカロナールの効果を実感した。
今朝の火照りや頭痛が嘘かのようになくなっていた。
午前を乗り切りお昼休憩に移った。
席を立つ私を先輩が呼び止める。
新しい企画の相談だった。
先輩の机に置かれた、先輩と奥さんと娘さんの写真。
先輩の左手の薬指に光る輪。
お昼ご飯に誘う言葉を飲み込んだ。
脈が大きく速く波打っていた。
顔が熱を帯びていた。
胸の奥が縮まるのを感じた。
でもこれらは全て風邪のせい。
あなたにお熱になんてなっていない。
【太陽の下で】
あなたの好きな音楽を流す。
あなたの好きな服を着る。
あなたの好きな人達を招く。
あなたに喜んでもらえるかしら。
今日はあなたを弔う日。
しかしあなたは
悲愴感は好きではないと仰るから。
だから私は笑顔で送る。
あなたの笑顔が浮かばれる、
この暖かい太陽の下で。
「セーター」
私は冬があまり好きじゃない。
あの体の芯まで固めるような暗い気温が好きじゃない。
私はニットがあまり好きじゃない。
毛糸がチクチク刺さって痒くなるあの感覚が好きじゃない。
でもおばあちゃんは違った。
半分アメリカの血が流れるおばあちゃんは、みんなで集まるクリスマスが好きだった。
12月25日をまだかまだかと、編み物をしながら毎年楽しみに待ち続けてた。
私が冬が好きじゃないその理由を、おばあちゃんは冬が好きな理由として話してた。
だってそうじゃん!親戚みんな集まったところでなにも特別なことはないし、あまり関わってこなかった叔父さんとの会話とか気まずいことこの上ないし、私だって年頃なんだから友達とか…か、彼氏とかと過ごしたいかもしれないとか思わないの!?
だから言ってやったの。今年のクリスマスはおばあちゃん家に行かないって。友達と約束あるからって。
友達と過ごすクリスマスは予想以上に楽しかった。気温の低い中歩き回りたがる気持ちは理解できなかったけど、それでも特別な日になった。
・ ・ ・
年を越して年度が終わって新年度に入って一学期が終わった。
終わりの見えない宿題の山に目を回すけど、1番長くて1番好きなこの休みを宿題に費やしてる暇なんてなかった。
友達とプールに行ってお祭りに行って楽しんだ夏休みもそろそろ終盤。遊びから帰ってきた私をお父さんが呼び止めた。
母親似の私は、お父さんに1/4流れる白人の血はあまり受け継がなかったってことは誰もが1目でわかる。
くっきり二重でバシバシのまつ毛を付けた目を伏せたお父さんは重そうに切り出した。
おばあちゃんが今朝息を引き取ったらしい。
……なんで?いきなり?体弱めてたの?聞いてないんだけど。なんで?
一年以上会ってないおばあちゃん。どうしよう。顔も思い出せない。毎年クリスマスに聖書読んでくれてたっけ。どんな内容だったっけ。
思い出、全然ないな。
全然ないからかな。
なんで泣けないんだろう。
洗面所の鏡を見ても思い出せない。2世代経て薄まったおばあちゃんの血は、私には面影も残さなかった。
お葬式でも泣けなかった。
皆が棺桶にすがる中、私は思い出せないおばあちゃんの顔を見るのが怖くて部屋の後ろで突っ立ってた。
お葬式の翌日、遺品整理を手伝わされた。
1年半振りのおばあちゃん家。そういえばこんな間取りだったっけ。
整理中に尿意を催してもなかなかトイレに辿り着けないことから、いかに自分がおばあちゃんに関心を向けてなかったことを知って、なんだか罪悪感を覚えた。
おばあちゃんの寝室に来た。
毛糸が積まれたカゴと、自分で作ったであろうクッションが敷かれたロッキングチェアと、暖かいオレンジ色の光で周りを照らすアンティークのランプが置かれた角。
なんだか見覚えがあった。
そういえば私、おばあちゃんの手が好きだった。
シワシワだけど、柔らかくて湯たんぽみたいに温かいおばあちゃんの手が好きだった。
おばあちゃんの膝に乗せてもらいながら、おばあちゃんの編む姿を眺めるのが好きだった。
なんで今まで忘れてたんだろう。
あんなに大好きだったのに。
ほんとバカだなあ、私。
私の名前が書いてあるタグと一緒に、ワインカラーのセーターを、お父さんから渡された。
おばあちゃんがいなくなってから初めて涙が出た。
お父さんから隠すように、セーターで顔を覆った。
あの時と同じ、おばあちゃんの匂い。
今年のクリスマスは家族と過ごしてみようかな。
早く12月にならないかな。
私は冬がすごく好き。
外が寒いなか、家でみんなで温むのが好き。
私はニットがすごく好き。
おばあちゃんに抱きしめられてるような温かさをくれるこのセーターが好き。