1/13/2025, 3:52:02 PM
僕は高校生の頃、多くの高校生がそうであるように、無謀な挑戦というものをしていた。それは無謀の中でも、ヒエラルキーが1番高い純粋な無謀さであった。そして、その時よく聞いていたのが、「登る壁は高ければ高いほど、登った後に見える景色は絶景である」という言葉だ。当時の僕は、その景色が気になって仕方なかった。まるで、地球の外に何があるのかが気になるインドガンのように。しかし、現実というものは一般的認知の通り残酷で、とうとう僕がその壁を登り切ることは無かった。あまりにも高いものだから、自分があとどのぐらいで登り切れたかすらも分からなかった。ただ、数年の時間を経て考え着いたのは、壁というのはミクロ的なものとマクロな的なものがあり、それは包含関係にあるということだ。つまり、頂きが分からないミクロ的な壁への途中経過でも、人生という全体の壁に対しての距離には少なからず貢献しているということである。しかし、そうなると人生という壁を超えるという行為についての意味を考えなくてはならず、それが意味することが死なのか、解脱なのかは僕には手に負えない議題であった。見切り発車でメタファーに乗り込んでも、停まるところを知らなければそれはただの戯言になってしまう。