日本語には色を表す単語が多いから、私たちは多彩な色を認識することができるのだとどこかで読んだ。
心情を表す言葉の語彙を増やせば、君を想う時の感情も明瞭に捉えられるだろうか。
でも裏を返せば、言葉で表すということはあらかじめ用意された型で対象を切り出すこということだ。
君を想うこの気持ちには言葉のメスを入れないでおこう。言葉の枠にとらわれない彩りを与えておきたいから。
遠い君へ
雪が降って君は風邪を引いた。
辛そうな君の姿に胸が締め付けられる。
でも、君の手を握っていてあげられる。
ゆっくり早く、元気になってほしい。
遠い君へ
君と一緒にいたいなんて言わない。
ただ君が幸せでいてくれたら、それでいい。
それがいい。
酸いも甘いも噛み分けて、立派な大人になってほしい。
人の温かみにたくさん触れて、人の可能性を感じてほしい。
そして、願わくば君の成長を見守らせてほしい。
君の人生に幸あれ。
遠い君へ
あとな、もう付き合っちゃえよ!!!笑
日が出ているのに雪が降る。そういう情景が好きだ。
冬晴れも降雪もありふれた情景だ。でも、この二つが組み合わさることはあまりない。
日常的なようで非日常的な情景。そんな絶妙な情景に出会えた時、えも言われぬ感動を覚える。
「幸せとは」なんて考えたことがなかった。日頃から幸せになりたいとは思っているが、それは漠然とした願望であって具体的なイメージではない。改めて幸せについて考えてみると、なかなか難しい。
幸せは過去と未来にしかないのではと思った。私たちは思い出を振り返りながら「幸せだった」と言う。そして、明るい未来を願いながら「幸せになりたい」と言う。
「今、とても幸せ」とも言うけど、それは「今この瞬間が幸せ」というわけではない気がする。だって、こう言っているときには数秒もしくは数分前の過去を思い出している。
そもそも、今この瞬間を全力で生きていたら幸せかどうかなんて考える暇はないのではないだろうか。
話がまとまらなかったが、結論はこうだ。「幸せとは」なんて哲学的思索に耽る暇があったら今この瞬間を全力で生きよう!
※全力で幸せについての考察をするのも、それはそれでありかもしれない。