「嵐が来ようとも」
例え、どんな変化があろうとも、
どんな進化があろうとも、
"嵐が来ようとも"。
きっと貴方たちは、
私たちを弄んで、喜ばせてくれて、
貴方たちは、
良く期待を裏切ってきて、予想不可な行動をして、
だから私たちは、
貴方たちに振り回されながら、
"嵐が来ようとも"平常で、
でも心の中では期待をして、
振り回されるのも求めているのですよ。
「お祭り」
今日は楽しい"お祭り"。
祭囃子が響き渡り、
まるで虚構のように、朧にしか見えない宴。
宵の宴、"お祭り"が始まる。
踊り狂い、とおりゃんせ?
いきはよいよい かえりはこわい
それすら刹那に消すように、さぁさぁおどりゃんせ。
祭りだ祭りだ"お祭り"だ。
きっと運命な終焉も、最後笑えば大丈夫。
とおりゃんせ、おどりゃんせ、
今日は楽しい"お祭り"だ .
「誰かのためになるならば」
"誰かのためになるならば"何でもする。
そんなこと言っても結局は自己満だろう。
誰かに認めてもらいたい。
誰かの記憶に残りたい。英雄になりたい。
ほら、結局人は何か理由付けをしなければ
行動を起こさないのだから。
人が死ぬのだって、何か理由がなければ死なない。
不審死なんて無いのだ。
分からないだけ。必ずそうなる理由がある。
何か普段と違う事が起こるのは、
普段と違う部分があるから。
行動とその理由は必ず紐付けないといけない。
だから、"誰かのためになるのなら"。
これはそう思う以前の理由があるから、
そう思うし、行動に移すのでは無いか?
「友情」
友情、愛情、恋情、慕情。
様々あるが、今回はこの中の
"友情"に注目してみたい。
友情、友情ってなんだ?
よくある話だろう。
自分はずっと友達だと思ってた。
その子の為だから何でもしてあげる。
ジュースも買ってくるし、奢ってあげるし、
話したいと思うことを話して欲しい。
そしたら私の思う事は塞いで君に寄り添うから...。
なんて、大した"友情"だ。
してもらってる側は都合よくしか思ってないのに。
友達でもなんでもない。
ただの都合よく動いてくれる駒の様な存在。
それなのにその事も知らず
その子の為だけに、その子の一番になりたいから。
その一心で頑張っても、もうその子の一番は居るよ?
君じゃなくても、他で君の埋め合わせは出来るよ?
君は、その子にとってただの駒なの。
そろそろ気付こうよ、もう。
自分で自分の事を傷つけるのはやめてよ...
「花咲いて」
"花咲いて"、とか。
花咲く、咲かない関係なくて、
私は、私はただ、
貴方と言う初恋に水をあげたかった。
正直どっちでも良かった、
咲いても、咲かなくても、
貴方が初恋で良かった。
そう思いたかった、、
何勝手に"花咲いて"枯れてんのよ。
花咲かせんなら枯らさないでよ...