太陽
私はどう考えても
「陽」に属する人間ではない
重々承知しているし
「陰」に属する自分は嫌いじゃない
でも私は太陽の下が好きだ
いい天気だとそれだけで嬉しい
明るいところを歩くのは楽しい
陰に属する人間ですが
天気がいい日は
のんびり陽の下を散歩するくらい
許されるよね
鐘の音
鐘の音は聞こえないけど
たまに、おりんの音が聞こえる
前の仕事をしてる時は
お経が聞こえる時もあった
年に一度、お坊さんが唱えに来てくれていた
おりんの音も
お経も
今はだいぶ「聞こえるだけのもの」になったけど
少し前までは聞こえてくると不思議な感覚になっていた
病気をして生死を彷徨う手術をしたあと
私は目覚めて、生きてる
でも
おりんやお経のはそれを揺るがすのだ
私はあの時
本当に目を覚ました?
今私が見ているものは
本当に目覚めてからのできごと?
私は、本当に生きてる?
時間が経つにつれ
生きてるからこその嬉しさや苦しさが
私は生きているのだと感じさせた
生きているかどうかという不安は
少しずつ小さくなった
もう感じたくはないけど
でもあの感覚はなんというか
忘れたくないなと思う
私が、生死の狭間にいた事を思い出す音
つまらないことでも
私が持っているエネルギー量は
多分他の人と比べて少ない
不要なところでエネルギーを使っている部分もあるのだとは思うけど
それを差し引いても多分少ない
でも、好きなことには文字通り
何時間でもエネルギーを費やせる
アウトプットに比べて
インプットのエネルギー消費は低いけど
時間が長くなれば当然量は増える
私の好きなことは
誰かにとっての「つまらないこと」だ
そんなことに何時間も使うなんて、と
思う人もたくさんいるだろう
でも私だって
他の人が楽しんでいも
何が楽しいのかわからないものなんて山ほどある
そういうものなのだ
自分にとってつまらないことでも
誰かの好きかもしれない
誰かにとってつまらないことでも
私が楽しいと感じることと関係ない
自分でエネルギーを注ぐほどに楽しいと思えるものがあるのは
幸せなことだ
だから
私は自分の楽しいを否定しないし
自分にとってつまらないことでも
誰かのたのしいなのかもしれないから
できるだけ否定したくないな、と思う
目が覚めるまでに
久々に学生時代の夢を見た
相変らず忘れ物をして
走って家まで取りに行く夢だった
あの時出来なかった
毎食後食器を洗うとか
部屋を整頓しておくとかそういうことが
気がつけば今は何となくできてる
もちろん100%では全然ないけど
あの頃ほど乱れることはなくなった
今のことも
いつかこうやって思い出すのかな
今苦手なことも
気がつけばできるようになるのだろうか
次の夢までに
私は何かできるようになってるのかな
目が覚めるまでに
少しは成長していたいな、と思う
病室
懐かしいな
もうすぐ6年経つ
色んな病室を経験したけど
どれもぼんやりとしか覚えてない
狭かったあのベットも
窓の広かったあの部屋も
記憶はあるのに
だいぶ遠のいた気がする
一番長くいた病室は
とても古い建物だった
窓には、格子があった
初めはなんだこれって思ってたけど
過ごしていくうちに気づいた
あぁこれは文字通り
命を守るための格子だ
この格子があるから
私たち患者は飛び降りれないんだ、と
その建物はもう建て変わって
綺麗になったはず
あの格子も
きっと新しい病室にはもうない
古いゆえの直接的な構造だ
当然改良されていく
戻りたい場所では無い
でも
私は多分一生あの場所を忘れない
私だけの場所ではないけど
何にも変え難い記憶と結びついた場所