病室
懐かしいな
もうすぐ6年経つ
色んな病室を経験したけど
どれもぼんやりとしか覚えてない
狭かったあのベットも
窓の広かったあの部屋も
記憶はあるのに
だいぶ遠のいた気がする
一番長くいた病室は
とても古い建物だった
窓には、格子があった
初めはなんだこれって思ってたけど
過ごしていくうちに気づいた
あぁこれは文字通り
命を守るための格子だ
この格子があるから
私たち患者は飛び降りれないんだ、と
その建物はもう建て変わって
綺麗になったはず
あの格子も
きっと新しい病室にはもうない
古いゆえの直接的な構造だ
当然改良されていく
戻りたい場所では無い
でも
私は多分一生あの場所を忘れない
私だけの場所ではないけど
何にも変え難い記憶と結びついた場所
明日、もし晴れたら
ずっと前に友達と旅行に行った時、
「明日が楽しみすぎて」という名前の
パン屋さんに行ったことがある
当時も今も思う
なんて素敵な言葉だろう
それは
未来が楽しみすぎるということだ
生きていることを
生きていけることを
嬉しいと思えるから出てくる言葉
未来は怖い
生きていくことは怖い
だけれども
嬉しいや楽しいもきっとあるだろうと
心のどこかで思っているし
それを見つけたいなと思っている
もし、明日晴れたら
どんな楽しいことをしようかな
だから、1人でいたい
好きな人達といる時は楽しいけど
基本的に人は好きじゃない
誰かといる時には常に不安があるから
1人でいる時よりもエネルギーを消費する
歳を重ねるごとに
それがだんだんと分かってきて
人付き合いは断捨離されていった
善し悪しは色んな意見があるだろうけど
少なくとも私は
前より少し生きやすくなった
そうやって気がつけば
1人でいることが増えて
1人で楽しめることも増えていった
幸か不幸か
私には1人で楽しいこと
1人だから楽しめることがたくさんあった
単純に、楽しいから。
だから、1人でいたい。
澄んだ瞳
その瞳に
世界はどんな風に見えているんだろう
毎日同じでも
名前を呼ばれること
撫でてもらうこと
ご飯を食べること
一緒に歩くこと
隣で眠ること
すべてを全力で喜ぶ
世界は嬉しい楽しいで溢れているのだろうな
そうあってほしいし
そうしてあげたいと思う
嵐がこようとも
今の私には
多分誰に何を言われても
何があろうとも
揺るがない部分がある
それがあるから
今の私は迷いながらも進めているし
立ち止まったり不安になったりしても
目指す場所がある
私はずっとそうなのだ
目標を決めるから進める
ただ不安にもなる
これだけだと思ってしまうことが
「これしかない」と思えることは
自分の支えになると同時に
首を絞めてしまう可能性もある
たぶん
たとえどんな大きなものだって
これしかないは、絶対にない
行きたいところは決めてもいい
ただ
そこまでの道も
そこで何をするかも決めすぎない
それしかないわけない
だから、大丈夫