お祭り
学生の頃
お祭りはワクワクするものだった
何となく雰囲気が好きで
ワイワイしてて
楽しかった
社会人になってから
だんだん苦手になった
人の多さ
音の多さ
明るさ
どれも苦しくなった
雰囲気は嫌いじゃないけど
近づかなくなった
今は
遠くで見るのはいいなって思うようになった
季節を感じられるし
普段と違うあかり
花火の音
出店の賑わう音
人の笑う声
そういうのをぼんやり見たり聞いたりするのは
何となく楽しい
自分が
変わっていっているのだよな
聞こえるもの
見えるもの
感じ方
考え方
全て変わった
そして
これからも変わり続けるのだろう
正解なんてないし
どれが自分に合うのかも
きっとその時によって違う
できるだけ穏やかに色んなものを受け入れて
楽しめるようになれたらいいなと思う
誰かのためになるならば
「誰かのため」って
すごく難しいと感じる
私は人のために動くことは少ないけど
ないことはない
でもそれって結局
誰かのために動くことで
自分が、救われたいから
安心したいからだと思う
大切な人であればあるほど
その人が傷つくことで私が苦しくなる
だから私は動く
その人のためというか、自分のために
私のそれは
「誰か」のためではないな
「大切なもの」だけだ
でも
大切なもののためになるならば
自分の寿命をあげたいとすら思った
私の何かを削ってでも
幸せでいて欲しいと思った
博愛ではないけど
自分を救う大切なもののためになるなら
私の全てをあげる
幸せでいて欲しいと思う
鳥かご
今、大好きなアニメに出てくる
主人公は鳥かごに捕らわれても
ぶち壊して出てくるような
強さと眩しさがある人
私はたぶん
ぶち壊すどころか
満喫するだろうな
自ら鳥かごに入ってのんびりする
鳥かごの中を
自分の楽園に改造しちゃう
私はそういう人間だ
どこで
どう生きるのが幸せかは
自分で決める
どんな選択も間違いではないと思う
友情
今とても好きな漫画の題材のひとつは、友情なのだと思う
それは口にするのも憚るくらい
眩しくて
くすぐったくて
輝いている
単純に、いいなって思う
自分以外と関わることは
基本的には怖い
でもそれでも
人と人との間に
自分と自分以外の生き物との間にしか
生まれえないものに
私は心惹かれる
目に見えない不確かなものは
確かにあると思う
失敗して
初めて
誰かの痛みを知る
全く同じではなくても
気持ちを想像できるような体験をすると
少しはわかるようになる気がする
私は
全然わかってなかったね
こんなに苦しいんだね
ごめんね