嵐が来ようとも私の怠惰と甘えは吹き飛ばせないだろう。
優しい先生は鬱病の心配をしてくれて、私もそうなのかもと思ったが最近はただの性格のような気がしている。
少し落ち込みそうなので前向きにとらえよう。
私の怠惰と甘えは嵐が来ようとも吹き飛ばせない。
自分の中に強い軸を持つ者は少ないだろうが私にはこの怠惰と甘えがある。
…少々無理があるか。
お祭りというものに縁がない。
お祭りに誘ってくれる友人などいないし、ひとりで行くほどお祭りに興味があるわけでもない。
だから今スマホを片手にどうしたものか悩んでいる。
凡人ゆえ考えても面白いアイディアが浮かぶはずもなく、お祭り気分なら書けるんじゃないか、と少し考えた。
最近お祭り気分になったこと。
夜ご飯にカレーと塩茹でした枝豆とスイカを食べたこと。
気がつくと私は森の中にいた。
辺りを見回してると神様が舞い降りてきて、こう言った。
「地球がアレだから方舟の中に好きな生き物を入れといて。好きな人間も入れていいよ。1ヶ月後に取りに来るね」
そして巨大コンテナを出現させた。
見た目よりずっと広いコンテナに私は慌てて色んな生き物を入れた。それを見た人々に何度も通報されて何度も警察が来るので作業が進まず大変だったけどなんとかなった。
できるだけ沢山の命を入れてあげたいので自分は入らないことにした。
1ヶ月後に神様が取りに来た。
「ありがとう。生き物もだけど人間ミチミチやん。君は入らないの?」
「まぁいいじゃないですか。ところでこのコンテナはどこへ行くのですか?」
「ネットオークションで売ろうと思ってるんだ。じゃあね」
そう言って神様はコンテナと共に消えた。 やっちまったかも?と思ったけど気にしない事にした。
その後コンテナの中の命と地球がどうなったのかはわからない…
これは私が1年ほど前に見た夢の話です。
誰かのためになるならば自分を犠牲にできる人に憧れる。
その優しさも強さも私にはないから。私は臆病で卑怯で「誰か」はおろか「あの人」のためになることもできない。
だから誰かのために何かをできる人を美しくて格好いいと思う。そうなりたいと強く思う。
それなのに、あの人が誰かのために自分を犠牲にした時だけは美しいとか格好いいとか、そうなりたいとか思えなかった。
見えない檻を作ったのも入ったのも自分なのに、閉塞感を覚え苦しむ私の様子を鳥かごの中の鳥のように表現しようとしたけどやめた。
鳥かごと鳥のように美しいものじゃないから。