何もいらない
あれがほしい、これがほしい。
あの人が羨ましい、あんな人になりたい。
人間って基本的には欲まみれだよね。
欲が悪いとかではなく、むしろ必要だと思う。
それは足りないものを補いたいから。
足りないからこそ欲しくなる。
あとは、見返りを求めるのも同じ。
友達に家族に恋人に職場の人に、
あなたにこんなことをしてあげたんだから、
自分に見返りを頂戴!!とかね。
そういった自分都合の欲とか、
見返りを求めなくなったら、
それがある意味幸せなのかもしれない。
自分は満たされてるから「何もいらない」
自分は満たされてるから見返りもいらない。
見返りなく尽くせることが愛なのかも…ね。
もしも未来を見れるなら
タイムマシンなんてあったらどうしたいだろう。
子どもの頃は、無邪気に
「どんな大人になってるかなー!」
と気になっていたような記憶がある。
今はどうだろうか。
少し先の未来すら、幸せなのかわからない。
もっと先の未来を見てしまったとして、
自分が輝いている姿は見られるんだろうか。
なんだか不安ばかりがよぎってしまう。
それよりはもっともっと遠い先の
今生きている人類がいなくなって、
新しくなっている地球や宇宙の姿が
見てみたいかもしれない。
無色の世界
なんの彩りもない。
そんな世界、わたしはないと思う。
無色。何もない。
なんの色にも染まってない。
何もないのか、
それともこれから何色にでも描けるのか。
人の赤ちゃんは生まれた時から
何にも染まらず、真っ白!
なんてことはないと思う。
お父さんがいてお母さんがいて。
その血を受け継いでいく。遺伝していく。
だから何色かは少し染まってるんだろうな。
きっと生まれつき活発な子もいれば、
生まれつき静かにしている子もいる。
何か病や障害を抱えているのかもしれない。
でもそれが良いか悪いかなんて決まりもない。
嫌な色なら塗り替えればいいし、
そのままでいいならそのままの色
そのままの自分でいればいいと思う。
何色になるのかは自分の選択。
桜散る
桜は咲き乱れ、そして散っていく。
まるで人間の若さのようだ。
一生懸命に咲いて、あっという間に
青春は過ぎていく。
青春、それは人生の春。
人生の春というからには、
満開になるまで頑張りたい。
でも、思ったように花開かなくても
無駄なんてことはない。
花びらが散ってしまっても、
また次の春を待とうじゃないか。
ここではない、どこかで
運命の人っているのかな。
いや、そもそも運命というのは決まりきっていて、
私たちは決まった道を歩まされているのかもしれない。
ふと、人生では思いもよらない出会いをする人がいるなぁと考える。
なぜか思わぬ場所で再会するのだ。
それが運命なのかもしれない。
少しだけ期待を秘めつつ、また会えるといいね。
ここではない、どこかで。君とまた。