かかわる人が多ければ多いほど、その人たちの顔が目に浮かぶから、心配したり、嬉しくなったり、悲しんだり、苦しくなったり、腹立たしくなったり、会いたくなったり、、、、それが人生。
でももうここに居ない人たちの顔は見ることが出来ない。もう何もできない。
庭に少しだけ空いた場所があったな。
お墓参りに供えるお花を沢山栽培なんてどうだろ。
それならいろんな方にお話ししに行けそうだ。
小菊 キンセンカ 百日草 桔梗
晴天快晴の通勤中、良いことを思いついた^ ^
仕事を辞める時には、沢山お金を貯めて、何不自由なく、余生を楽しむぞ!
なんて考えてたら、、気がつけば、もう、働き出してから40年過ぎちゃったわ。w
ん〜。この歳まで幸せな人生だったかと問われれば、ある側面では恵まれ、また別の側面からすれば、淋しい人生だったかもしれないなあ。
嫁も、子ども、孫までいるのに、何故って思う人もいるかもしれないけど、幸せの基準なんてひとさまざま。
そんなに丈夫でもないし、あと何年生きられるかわからないけど、今のままでは、まだまだ微笑んで瞼を閉じることは
出来ないかなあ。
自分は自分、人とくらべてもしょうがないって言うけどさ。
自分の可能性を信じて、もうひと頑張りしたい。
これからもずっと、、、、
自分の命があと一年で、とりあえず身体が自由に動くのなら、どう過ごすだろう。
おっとそんな事をクルマの中で考えてたら、前から素敵な女性が歩いて来たぞ。
もしかしたら、優しい女性と一日過ごせればもうそれだけで良いのかもしれない。w
若い時から、人生の終わりまで描くのは難しいよね。
と言うか、やめといた方が良いよ。
予想外のことが沢山起こるからね。
それが人生ってもんさね。
じゃあ、何にも考えず、今を楽しむだけで良いかって?
それがまた、それすらも許してくれないのが常なのさ。
自分が乗るべき船を見つけるためには、
その切符を手に入れたなければならない。
切符を手にするのにお金は要らない。
自らの怠惰に向き合い、素直にそして正直に生きること。出来るだけ、人に思い遣りをもってせっすること。
さすれば、貴方は雨にも染みることの無い、プラチナ切符を手にしているでしょう。
自分の臓器を、あげれる人はいますか?
私は、息子と娘にはあげれます。
妻、、、、
無理ですかね。今の私には。
そして、そう思ってしまう自分が
悲しい。今まで一番自分の世話をして来た人なのに、、、
臓器をあげれない気持ち、それは愛が終
わったということなのかもしれません。
エイプリルフール
この気持ちがこの日だけの嘘であったら
幸せなのに。