とも

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4/12/2026, 9:21:16 AM

「言葉にできない」

4月といえば出会いの季節だ。入学式、入社式などのイベントがあり、新しい出会いが溢れている。
一方でその前の3月は、別れが多い季節だ。卒業式、大型人事異動など多くの別れがある。

色々な別れというのはいつ起こるか分からない。例えば、失恋の別れ、引越しでの別れ、生死の別れなど様々である。
この別れが起きた時に自分の思いを言葉に出来ない人は多いのではないだろうか?
なぜ言葉に出来ないのかは、一時的な感情や物理的に言葉に出来ないなど十人十色の理由があると思う。

ただ私は、言葉に出来ないことが人生を歩んでいく中で一番の後悔になると思う。それは、言葉に出来ないことで自分の本心を相手に伝えられてないからだ。そこにはマイナスな感情もあるかもしれない。けれどもマイナスな感情も含めて言葉にした方がそのままの自分を見てくれる本当の人間関係を築き上げ、相手と別れが来てしまっても後悔が残らない人生が送れるのではないかと考える。

ただし一時的な感情に身を任せて言葉にするのは、一番やってはいけないと思う。それは自分の本心とは違うことを伝え、相手を傷つける可能性があるからだ。
コナンでこんなセリフがある「一度口に出しちまった言葉はもう元には戻せねーんだぞ。言葉は刃物なんだ。使い方を間違えると厄介な凶器になる。言葉のすれ違いで、一生の友達を失うこともあるんだ。一度すれ違ったら、2度と会えなくなっちまうかもしれねーぜ。」
このセリフは、私たちが常に意識しておくべきことだと私は思う。

長くなったが、言葉に出来ないことは人生で一番の後悔になると思う。そして言葉にするときは、相手の気持ちを想像することが大切であると私は思う。

3/29/2026, 12:24:20 PM

ハッピーエンド

よくハッピーエンド、バッドエンドという言葉を耳にする。
端的に言えば良い終わりか悪い終わりかの話だ。
ただ人生においては、どうなのだろうか?
多くの人は人生をハッピーエンドにしたいと思っているだろう。では、人生におけるハッピーエンドとはなんなんだろうか?

それぞれ人生において学歴、年収、肩書などで成功者と言われる人達がハッピーエンドを迎え、「自分の人生なんてハッピーエンドにはならない」と考える人もいる思う。

ルパン三世のセリフでこんなセリフがある。
「俺って人生の視聴者は俺だけだ。だったら俺が続きが観たくなるような物語じゃないと意味がないだろう?」
これを聞いて「アニメの綺麗ごとだろう」と思うかもしれない。ここで想像してみてほしい。もし自分の人生が書籍やドラマになるのであれば原作者、脚本、主人公、視聴者、読者は誰になるのかを、そして全てが自分自身になるということに。
さてルパン三世のセリフをもう一度見ると「他人はあくまでも脇役であり、自分自身が主役で好きなように人生を描くことができる」と思えるかもしれない。
ただ脇役がいることで主役が輝けることに感謝を忘れてはならない私は思う。

つまりハッピーエンドかどうかは人生において、自分自身の生き方でどうにでもなり、誰しもが十人十色のハッピーエンドを描くことが出来ると私は考える。

2/17/2026, 11:38:50 AM

お気に入り

お気に入りといえば何を思い浮かべるだろう?
お店、匂い、場所、色、人それぞれ沢山ある。

お気に入りとは、自分の好みにあったもののことを言うだろう。ただ普通に過ごしているだけでは見つけられないと思う。
お気に入りを見つけるためには「挑戦」が不可欠だと考えている。なぜなら挑戦しないことには、新しい発見はない。そして自分の好みに合っているか判断のスタートラインに立つことが出来ないと考えるからだ。
例えば、気になるカフェがあったとする。行かないことには店の雰囲気や味が分からない。ここで不味かったらどうしようなどと考え、行かない判断つまりは挑戦しないと新しい発見はなく、判断のスタートラインに立つことは出来ない。
だからお気に入りを見つけるためには「挑戦」が不可欠であると考えている。

お気に入りの何かが増えれば、目に見えて挑戦したことが分かる。それが積み重なって大きな自信となると私は思う。

現状に満足せず挑戦し続け、一番のお気に入りは「自分の人生」と言えるような生き方をしていきたい。

2/15/2026, 1:44:41 AM

2月14日、祝日でもなんでも無い日だ。
しかし、義理・本命・友チョコ、色々な名前のチョコが2月14日限定で出てくる。
また、この日だけは気持ちがソワソワしている人が多いのではないだろうか?貰うもらえないで一喜一憂するのもバレンタインの醍醐味だと思う。

ただ忘れてはいけないことがあると考えている。それは、どんな名前のチョコであろうと渡してくれた人の気持ちを考えることだ。
なぜなら「どれを渡すか」考えた時に一瞬でも自分のことを無意識に考えてくれるからだ。
例えば、クラス全員に義理チョコをあげるとしてもクラスの人数を把握してなければ渡すことは出来ない。つまりは、クラス一員として自分のことを認識/考えてくれていることになる私は思う。
だから貰った人は「貰った」という事実だけでなく、自分のことを考えて時間を使ってくれたことまで感謝できるとより暖炉に火が灯ったように心が温かくなると思う。

一方でもらえなかった人も「なぜもらえなかったか?」自分の行動を見直すチャンスをもらえたと思えば落ち込む必要もなく前向きに来年以降、期待できると思う。

バレンタインは物理的には貰うもらえないは発生する。だが違う視点/思考から考えると貰えない人はいないのでは無いかと私は思う。