遠くの街へ行きたい
自分のことを何も知らない、自分も何も知らない
そんな遠くの街へ行きたい
遠くの街で生活がしたい、静かに、のんびりと暮らしたい。
何も考えず、何も欲せず、ただただ毎日のんびりと。
春に桜を見て、夏にひぐらしの声を聞き、秋の夜長に故郷に思いを馳せ、冬は1年を振り返りながら炬燵でみかんを頬張る
そんな暮らしがしたい
その理想の為にも、遠くの街へ行きたい
遠くの街…僕の理想とする遠くの街…
理想の中の街だから、遠くの街
今の仕事について4年経つ
人手不足と大口が無くなった事による新しい作業がこの一年大量に発生している。
みんなで手分けしてやれば造作もない量ではある。
ただ、みんなやりたがらない。
他人の仕事が増えた事を他人事として見ているだけ。
その結果、特定の人に仕事が偏る。
それでいて休職者が数名いる状況。
それについて、今日上司と話し合いをした。
売上確保は当然だが、このままでは社員が潰れてしまう。
作業の見直しをすべきであると提言した。
けど、みんなで協力していこうで話し合いは終わった。
仕事終わりになんとなく空を見た。
物憂げな空が僕を見ていた。
僕の気持ちを分かってくれているのか?
それとも会社に対するものなのか?
そんな事を考えながら、会社の駐車場でこの文章を書いた。
太陽の様な人と言われていた人がいた。
よく笑い、誰とでも雑談ができ、その場をぱっと明るくしてしまう人。
そんな人に憧れていたけどふと思った事がある。
太陽の様な人は悲しい気持ちにならないのかと。
もしかしたら私たちにとって太陽の様な人は
陰では悲しい気持ちになっているのかもしれない。
周りばかり気にかけてしまい…自分のことが後回しになっているのかもしれない。
そんな人が少しでも楽になれる様な
太陽の様な人を支えられる様な、励ませる様な
そんな人に私はなりたい。
お気に入りの場所がある
そこは地元が一望できて、人気がなく、夜景がとても綺麗な場所
20年近く前に知ってからというもの何かあるとそこに行ってた。
静かで誰もいないから過去も未来も悩める場所
気がつくと1時間くらいいる事もある
他人は誰もいないけど、そこで悩んでいると、過去の自分が思い出されて1人で悩んでいる気がしなくなる
過去の自分が泣いたり怒ったり頭を抱えたりしながら相談に乗ってくれている気がする
1人しかいないはずなのに討論している気持ちになる
中学生の自分、高校生の自分、大学生の自分、社会人1年目の自分
今の自分の状況を知ったら、なんで言葉をかけるだろう
そんな想像をしながら、今日もお気に入りの場所にいる
元気にしてるか?
家族とうまくやってるか?
転職したか?それともまだ法人にいるのか?
戸建は買えたのか?
娘も中学に上がる年、腹立つことばっかりだろうな?
父親はどうだ?80近い独居老人だから、たまに家を観にいけよ?
母親はどうだ?悲しいけど、おばぁはもういないんだろうから、こっちも独り身だから面倒見てやれよ?
グータラで根性なしのお前に言いたい事が山ほどあるが、ここではひとつだけ
そろそろ自分を許してやれ。自分を褒めてやれ。
棒読みでもいい。感情なんか入れなくて良い。
一言「これまでよく頑張ったな。お前は凄いよ。」
って声に出して言ってみろ
親から虐待され、虐めに遭い、就職難を経験し、周りの罵声に耐え、無茶な仕事量に耐え、馬鹿馬鹿しい人間関係に耐えてきたじゃないか。
耐えて耐えて耐えて耐えて、必死に耐えてきたじゃないか。
なんで自分はダメなんだって、散々自分を責めてきた
じゃないか。
もう十分だろ?もう許してやれ。
お前は十分耐えてきたんだ、自分を責めてきたんだ。
他の奴なら耐えられなくて20代には死んでるぜ?
それを耐えてここまで来たんだ。
誰にも真似できない事をやってのけてるんだ。
ビクビクするな。お前の方が強いのだから。
下を向くな、お前の方が強いのだから。
負けた時を考えるな。お前の方が強いんだから。
鼻で笑ってやれ。お前の方が強いのだから。
それじゃ。