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2/5/2026, 9:22:32 AM

お題『Kiss』

 猪野の手がそっと肩に触れた瞬間、七海の胸が跳ねた。
「……猪野くん?」
「ん……近くにいたくて」
 その声は、期待と不安が入り混じった色を帯びていた。七海は平常心を意識しながらも、内心ではその一言に胸がぎゅっと締め付けられるのを感じていた。いつも冷静であろうとする年上としての自分と、目の前の無垢な青年の間で、感情が波のように押し寄せる。
 猪野は何も言わず、ただ七海の膝に手を置き視線を合わせる。目の奥に映る真っ直ぐな思いに、七海は思わず視線を逸らした。ただ純粋に「欲しい」と求められることが、こんなにも胸を焦がすものだとは。
「……触れても、いいですか?」
 その声には緊張も、期待も、そして少しの恥じらいさえ混ざっていた。七海は深く息を吸い込み、手を差し伸べる。
「はい……もちろんです」
 指先が触れ合った瞬間、体の奥からじんわりと温かさが広がった。理性ではなく、心が先に反応している。猪野はゆっくりと七海の頬に触れ、唇を寄せる。その柔らかさ、温かさ、微かに震える様子——全てが七海の理性を溶かしていく。
「……ん、猪野くん」
「我慢できなくて……」
 唇が重なる瞬間、七海は自分の心臓の音が耳に響くのを感じた。こんなにも心を揺さぶられるとは思わなかった。触れられるたび、抱きしめられるたび、心の奥底にしまい込んでいた甘さと切なさが、同時に溢れ出す。
「……七海サン」
「はい、猪野くん」
「好きです……」
 その言葉に、七海は言葉にならない感情の波に押し流される。理性で抑えようとする自分と、猪野のぬくもりに溺れたい自分。胸の奥で熱が渦巻き、思わず彼を強く抱き寄せた。
「私も……猪野くん、好きです」
 目を閉じ、唇を重ねたまま、二人は互いの存在を確かめる。外の世界は、音も光もすべて遠く、ただ二人の鼓動と呼吸だけが、甘く絡み合っていた。
「これからも、ずっと……そばに」
「うん……ずっと」
 七海は心の中で、猪野に全てを委ねてもいいのだと素直に思えた。互いの温もりが、夜の静けさの中で永遠のように続いていく気がした。

2/3/2026, 12:51:04 PM

お題『1000年先も』

 夜更けの部屋に、雨音が静かに響いていた。
 照明を落としたリビングで、七海建人はソファに腰掛け、膝の上に読みかけの本を置いている。
「七海サン眠くないっすか?」
 隣から覗き込むように声をかけてきたのは、猪野琢真だった。
 猪野は七海の肩に頭を預け、まるでそこが定位置であるかのようにくつろいでいる。
「今はまだ大丈夫です。君こそ、もう休んだらどうですか」
「んー……七海サンが起きてるならいい」
 子どもっぽい理由に七海は小さく笑った。
 年下の恋人は、時々こうして甘えを隠そうともしない。
「相変わらずですね、君は」
「だってさ、七海サンって……離れると、いなくなりそうで」
 冗談のようで、どこか真剣な声。
 七海は本を閉じ、猪野の方へ視線を向けた。
「私はここにいますよ。簡単には消えません」
「でもさ、未来って分かんないじゃん」
 猪野は七海の指を掴み、ぎゅっと握る。
 若い体温が、確かさを求めるように伝わってくる。
「千年先とかは想像もできないけど……それでも一緒にいたいんだ」
 七海は一瞬言葉を探した。
 理屈ならいくらでも並べられるのに、こういう時は不思議と素直になる。
「……千年先は、さすがに約束できませんね」
「えー」
「ですが」
 指を絡め返し、猪野の手を包み込む。
「明日も、来週も、十年後も。
 君が望む限り、私は隣にいるつもりです」
 雨音が、少しだけ強くなった気がした。
 猪野は目を瞬かせ、それから照れたように笑う。
「ずるいなあ、七海サンは」
「何がでしょうか」
「俺が欲しい言葉、全部くれるんだもん」
 七海は答えず、代わりに猪野の額に口づけた。
 それだけで、猪野は満足そうに目を閉じる。
「千年先もさ、七海サンの恋人でいさせて」
「……もちろんです」
 雨の夜は静かで、世界は二人きりのようだった。
 千年先も変わらないものがあると、今は信じられる。

1/28/2026, 12:25:26 PM

お題『優しさ』

 夜更けのキッチンに湯気がゆるやかに立ちのぼっていた。
 テーブルに並ぶ二つのマグカップ。その片方を、猪野はそっと七海の前に差し出す。
「はい、カモミールティーです。眠れそうにないって言ってたから」
「ありがとうございます、猪野くん。相変わらず気が利きますね」
 七海はそう言って微笑む。その声音はいつも通り丁寧で、けれどどこか柔らかい。
「七海サン、今日の任務きつかったでしょ」
「……そうですね。ですが、こうして帰る場所があると思うと、不思議と耐えられるものです」
 カップを両手で包み、七海は小さく息をつく。猪野は迷いなく距離を詰め、その肩に自分の額を預けた。
「無理しなくていいのに。俺の前では」
「……そう言っていただけるのは、ありがたいですね」
 拒まれないことに胸が温かくなる。猪野は腕を回し、ゆっくりと抱き寄せた。
「七海サンはさ、優しすぎるんだよ。いっつも自分のこと後回しにして」
「君も同じでしょう? お互い様です」
 そう言いながらも、七海はそっと琢真の背に手を置く。その仕草は遠慮がちで、けれど確かだった。
「……君の優しさに、私は何度も救われています」
「俺のほうこそ! 七海サンが優しいから、俺もそうありたいなって思うんです」
 しばらく言葉はなく、ただ心音だけが重なる。やがて七海が小さく微笑んだ。
「この時間がある限り、明日からも頑張れそうです」
「俺もです」
 静かなそのやり取りだけで、二人には十分だった。

1/26/2026, 12:21:32 PM

お題『安心と不安』

 夜更けの部屋は静かで、カーテンの隙間から街灯の光が細く伸びていた。
 ソファに並んで座る二人の距離は近いのに、七海の胸の内には言葉にしづらいざわめきがあった。
「……どうかしましたか、猪野くん」
 七海がそう尋ねるより早く、猪野は七海の手を取った。その掌は少し熱を帯びていて、体温だけで心臓が落ち着くのを感じる。
「考え事してたでしょ。最近さ、そういう顔多い」
「いえ。仕事のことを少々……」
 微笑みでごまかしたつもりだったが、猪野は納得しなかったらしい。七海の手をぎゅっと握り直す。
「七海サン、なんでそんな不安そうなの?」
 その率直さに、七海は一瞬言葉を失った。
 年下の恋人に弱さを見せるのは、正直、少し怖い。
「……君は若い。これから出会いも多いでしょうし、本当に私が隣にいてよいのか、君の未来を奪っているのではないか、と」
 口に出した瞬間、不安が形を持ってしまった気がした。七海は視線を落とす。
 すると、猪野が小さく笑った。
「そんなの、いいに決まってるじゃないですか」
 猪野は七海の顎に指を添え、やさしく顔を上げさせる。
「安心してください。俺が好きなのは七海サンだけ。年齢とか関係ない」
「……本当ですか」
「本当です。むしろさ、不安になる七海サンも可愛いって思ってる。だって、不安になるくらい俺のこと大切に思ってくれてるってことでしょ?」
 そんなことを真っ直ぐに言われて、七海の胸がきゅっと締め付けられる。
 同時に、ふわりと温かいものが広がった。
「ずるいですね、君は」
「そうかもしれません」
 猪野はそう言って、七海を抱き寄せる。胸に顔を埋められ、七海は小さく息を吐いた。
「……君がそう言うなら、不安も悪くありませんね」
「でしょ? 不安があるから、安心もわかる」
 猪野の腕の中は、驚くほど落ち着く場所だった。
 年上としての自負も、不安も、すべて受け止められている気がした。
 七海はそっと猪野の背に腕を回し、静かに微笑んだ。
「では今夜は、この安心に甘えさせていただきます」
「どうぞ。気が済むまで」
 重なった体温が、夜の静けさをやさしく満たしていった。

1/19/2026, 12:46:36 PM

お題『君に会いたくて』

 最終の新幹線。七海は腕時計を見て小さく頷いた。
 予定よりも早い帰宅。本当は、今日は出張最終日のはずだった。任務は前倒しで片付いた。合理的判断――そう言い聞かせながら、胸の内では別の答えがはっきりしていた。
(……猪野くんに会いたい。早く声が聞きたい)
 胸の奥にぽっかり空いた隙間が、彼を求めていた。七海は自嘲気味に微笑む。
 エレベーターを降りて玄関のドアに鍵を差し込む。その一瞬さえ、もどかしい。
「ただいま戻りました」
 扉の向こうから、ばたばたと足音。
「え、七海サン!?」
 駆け寄ってきた猪野は驚きと喜びが入り混じった顔で立ち止まり、それから一歩もためらわず七海を抱きしめた。
「聞いてないんですけど!」
「申し訳ありません。連絡を入れる余裕がなくて」
「あ、謝らないでください。びっくりしただけっすから。……でも、どうして?」
 抱きしめられたまま、七海は少しだけ言葉を選び、それから静かに告げる。
「……君に、会いたくなったんです」
 猪野の腕に力がこもり、七海のスーツに顔を埋める。
「ずるい! そんなの、嬉しいに決まってるじゃないっすか」
「ふふ。そう言っていただけると、私も救われます」
 七海が背中を撫でると、猪野はゆっくり顔を上げ照れたように笑った。
「俺も会いたかった。七海サンがいないと、家、静かすぎて」
「それは……申し訳ありません」
「そこも謝らなくていいですって」
 額を寄せ合う距離で、猪野が柔らかく笑う。その瞳に映る自分を見て、七海は胸の空白がゆっくりと満たされていくのを感じた。
「俺、毎日七海サンのこと考えてましたよ。ちゃんとご飯食べてるかなとか、ちゃんと寝てるかなとか」
「それは……随分心配されていたようですね」
「恋人ですから」
 即答すると、七海の表情が少しだけ柔らいだ。
「……私もです。君がきちんと休めているか、無理をしていないか、気になって仕方ありませんでした」
「じゃあ、おあいこですね」
 猪野はそう言って、七海の手を握る。指と指が絡まり、自然と距離が縮まる。
「七海サン、寂しかった?」
「……はい。想像以上に」
「じゃあ、今日は俺がいっぱいくっついててあげます」
「ええ。君のお好きなように」
 ソファに座ると、猪野は迷いなく七海の膝に乗り腕を首に回す。
「言いましたね?」
 今度は七海の腰に手を回し、ぐっと引き寄せた。スーツ越しでも分かる体温に、七海の肩がわずかに揺れる。
「俺、七海サンがいない間ずっと我慢してたんです」
「……何を、でしょうか」
「七海サンに触れないこと」
 耳元で囁くと、七海の喉が小さく鳴った。
「電話もメッセージも、もちろん嬉しかったですけど、それじゃ足りなかった」
 そう言って、猪野は七海の顎に指をかけ、視線を合わせます。
「……俺も、会いたかった」
 七海の返事を待たず、猪野はゆっくりと唇を重ねた。逃げ場を作らない、けれど乱暴ではないキス。
「……君のそばは、不思議と安心します」
「知ってます」
 即答されて、七海は少しだけ笑った。
「好きです、七海サン」
「私もですよ、猪野くん」
 年下の恋人の腕の中で、七海は目を閉じる。
 離れていた時間が嘘のように、ぴったりと重なる体温。
 ――会えなかった分だけ今夜は長く、甘く。
 君に会いたくて帰ってきたその場所で、君に甘やかされる夜が静かに始まる。

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