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9/23/2025, 2:07:57 PM

お題『僕と一緒に』

 カーテンの隙間から、夜の街灯りが差し込んでいる。
 深夜0時過ぎ。ふたりは並んでベッドに座っていた。会話が少し止まって、時間がゆっくりと流れていく。テレビも音楽もない部屋で、心音だけが響いているような静けさ。
「……ねぇ、七海サン」
「はい」
「緊張してます?」
「……してますね。少しだけ」
「俺も、です」
 ふと笑い合ったその表情に、いつもの余裕はなかった。
 けれど、それがたまらなく嬉しかった。お互いがお互いを大事に思ってる証拠のようで。

「……七海サン」
「なんでしょう」
「今日、そういう流れになるって思ってなかったですよね?」
「正直に言えば、はい。……でも、嫌ではありませんよ」
「うん……俺も、焦ってるわけじゃないです。ただ……」
「ただ?」
「“ちゃんと好き”ってこと、伝えたくて」
「……十分、伝わってますよ。言葉でも、行動でも」
「でも、もっと深いところまで……触れたいって思ったんです」
 その言葉に、七海は目を伏せる。わずかに手が震えている。年上の彼が、こんなふうに脆さを見せるのことは滅多にない。
 だからこそ、猪野はゆっくりと手を重ねた。指先ではなく、手のひら全体で、心ごと包み込むように。
「七海サン」
「……はい」
「無理はしてほしくないです。今じゃなくてもいい。……ただ」
「ただ?」
「“その気持ちがある”って、分かち合えるだけで、俺は嬉しい」
 七海は猪野の目を見た。それは彼らしく、まっすぐで、真剣で、優しい瞳だった。
「……君となら」
「……うん」
「私の“はじめて”を、預けてもいいと思っているんです」
「……っ、七海さん」
 猪野は七海の手をそっと引き寄せ、唇を落とす。そして、小さく囁く。
「“俺と一緒に”迎える“はじめて”は、焦らず、丁寧に、ちゃんと愛情をこめて」
「……ええ。君とだから、大丈夫だと思えるんです」

 ベッドの上、灯りは消さないまま。ふたりは寄り添い、そっと額を重ね合った。
 まだ触れていない。まだ踏み込んではいない。けれど、心だけは重なっていた。
 愛しさを、もっと深く分かち合う“夜の入り口”。
「……大好きです、七海サン」
「……私も。君と一緒にいられて、幸せです」

9/16/2025, 1:20:10 PM

お題『答えは、まだ』

「七海サン。俺たちのこれからのこと、考えてくれてますか?」
一瞬、空気が止まったようだった。
七海は黙っている。その沈黙が、痛いくらいに重い。猪野はぎゅっと手を握りしめる。
「俺は、ずっと一緒にいたいって思ってます。でも……七海サンは、まだ“答え”をくれない」
「……焦らないでください。私は、ちゃんと向き合っています。……ただ――」
「“ただ”が多すぎるんですよ、七海サンは」
語気が強くなったことに気づいて、猪野はすぐに口をつぐんだ。七海が少し目を伏せたのが見えた。
「ごめんなさい。……怒ってるわけじゃないんです。俺、ただ……怖いんです」
「怖い?」
「そうです。いつまでたっても“俺たち”が、俺だけの幻想だったんじゃないかって。七海サンは、本当に俺のこと、好きでいてくれてるのかって……」
七海がゆっくりと顔を上げた。そこには、わずかな驚きと、口惜しさがあった。
「何を言っているんですか、君は」
「え……?」
「好きに決まってるでしょう。そうでなきゃ付き合ったりしません。……ただ、私は、年下の君の未来を奪うことに、どうしても躊躇してしまうんです。君にはもっと、自由で選べる可能性がある。私は――」
「じゃあ、俺が選んだ答えを信じてくださいよ」
猪野は七海の手を、そっと握った。
「俺があなたを選んだんです。未来も、自由も、可能性も全部知ったうえで、それでも七海サンがいいって。そう決めたのは、俺です。……七海サンの“答え”がまだなら、待ちます。いつまでも待ちます。でも、俺の気持ちは、もうずっと前に決まってるから」
七海は目を伏せたまま、猪野の手を握り返した。
その手の温かさが、彼の中の迷いを少しだけ溶かしていく。
二人の間に流れる時間は、静かで、確かなものだった。
「――ごめんなさい。答えは、まだ。でも……きっと、近いうちに」
七海が小さく微笑んだ。
その笑顔に、猪野はまた、恋をした。

9/13/2025, 1:50:57 PM

お題『空白』

会えなかった数日分の空白を埋めるように抱きしめ合う二人。
「七海サン、俺がいなくて寂しかった?」
「……少しだけ」
顔を伏せて恥ずかしそうにぽつりと漏れた声。猪野はそっとキスを落としていく。
まぶた、頬、唇、首筋。
「かわいい。たっぷり穴埋めさせてくださいね♡」
そう耳元で囁かれ、俯いたままの七海は耳まで赤く染まった。

9/11/2025, 1:58:40 PM

お題『ひとりきり』

誰にも言えない夜を、何度も越えてきた。ずっとひとりきりだった。でも今、この手の中に確かに誰かがいる。若くて、まっすぐで、愚かで、真剣な——猪野琢真という存在が。

「七海サンが『ひとりきり』でいることを、俺が許さない」

彼はそう言った。
そんな言い方、ずるいな。七海はそう思った。
しかし、それを否定できなかった。

明日も知れぬ身。それでも、彼といれば救いがあると信じた。
ひとりじゃない。
そう思えた。ただそれだけで——生きていける気がした。

9/9/2025, 3:14:38 PM

お題『フィルター』

 なんでもこなせてクールで完璧な七海サン。それゆえに近寄りがたさを纏わせている。
 例えば任務中、仲間が倒れても、非術師が巻き込まれても、冷静沈着に対処をする。
 でも感情がないわけじゃない。七海サンは“冷たい”んじゃない。“感情を見せない”だけだ。
 まるで、厚く磨かれたガラス越しに見る水槽みたいに、綺麗だけど、触れられない。
 そんな七海サンが俺の前ではそのフィルターを外してくれるのが嬉しい。俺だけに見せてくれる素顔。七海サンが誰よりもあたたかいことを俺は知っている。

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