Nobody

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2/19/2025, 2:16:49 PM

楽しいことも辛いことも
私の海馬は記憶できない

完成したパズルのピースが
ひとつ またひとつと
抜け落ちていくように

懐かしい声が
記憶を呼び覚まそうとしているのに
跡形もなく溶けていく

ああ 名前を呼ばないで

涙が止まらないの
差し出された手を取っていいのかさえ
私にはわからない

あなたは誰?

ああ

私は?


[あなたは誰]#155

9/13/2024, 2:41:44 PM

コーヒーマシンに挽いた豆をセットする。
スイッチを入れると、薄暗いリビングに駆動音が小さく聞こえ始めた。
日中はまだ暑さが残るこの時期も、朝方4時は寒さが際立つ。無意識に両手を擦り合わせ、作った空洞に息を吐きかけた。サテン生地のこのパジャマはそろそろお役御免だろうか。

この時期のこの時間帯は、一直線に伸びた地平線が少しずつ赤らんできて、太陽が浮上してきているのだろう様が見て取れる。キッチンからリビングの窓を見やると、空が先ほどよりも色づいてきているようだった。
急かすように、窓とコーヒーマシンを交互に睨める。
尤も、機械には"空気を読む"機能というのはまだ備わっていないわけだが。

やがてコーヒーの艶めかしい香りが漂ってきて、私はそれを肺いっぱいに吸い込むと、満たされたような気持ちでマグカップを食器棚から取り出す。自分自身のその動きでさえ、優雅だと感じるほどに気持ちの良い瞬間だ。
カップにコーヒーを注ぎ、少し追い立てられるようにリビングのソファーに腰掛けると、眼前に夜明け前の美しい景色が広がった。

未だ眠る街が奏でる静寂。
青藍と曙色が混じりあい蕩ける空。
何かを追いかけるように足早に過ぎていく千切雲。

私は震える手をぎゅっとマグカップに押し付けた。得も言われぬ感情に涙が出そうになる。
しばし眺めてからふと立ち上がって窓を少し開けると、冷たい風がレースカーテンを揺らしながら入り込み、私の頬や髪を撫でた。昨夜に降った雨の匂いが鼻を掠め、思わず吐息を漏らす。

まるで世界の始まりを見ているかのようだ。
闇から一筋の光が生まれ、万物が世界を成した始まりの物語。神々は光と海と大地の狭間に、どんな物語を見出し、世界を創造したのだろう。創造ののちに、もしかしたら私と同じように心を震わせて、涙を流したのだろうか、なんて。

瞬間、日の光が申し訳なさそうに地平線からリビングへと降り注ぐ。タイムアップだ。ずっと握りしめ存在を忘れかけていたマグカップに漸く口をつければ、苦味が舌を刺激し、一気に現実に引き戻された。
きっと今日も、私の日常が進んでいく。


[夜明け前]#148

9/5/2024, 2:49:29 PM


巻貝の殻を耳に当てても
海の音なんて聞こえなかった
それでも聞こえないとは言えなくて
聞こえる気がする と笑った

あの時の気持ちを思い出して
ぎゅっと寂しくなったとき
宝箱を開けては
たくさんの貝殻を取り出す

凹凸に指を滑らせ
優しく握りしめ
頬をすり寄せる

私と同じ 海に還りたいものたち


[貝殻]#142

8/22/2024, 1:35:55 PM

「ねーコレやってえ」

何度キミにお洋服を着せてあげたろう。
裏返しになったTシャツ。
半泣きなのは直そうと自分で頑張ったから。
くちゃくちゃに丸まったTシャツのなんと愛しいこと。
私が直すと泣きそうな顔がぱぁっと明るくなって
両手を広げてちゃっかり着せてもらう。
「脱ぐ時に裏返しにならないように脱ぐの!」
そういうと決まって
「むずかしいんだよぉ」とほっぺを膨らませる。

今でも時々
裏返しに脱いだ服を見ると思い出す。
でももう私が直すことはない。
「これやってえ」と泣かれることもない。
自分で直して自分で着られるようになった。
ああ、大きくなったね。

「ちょっと! 靴下は裏返し直してから入れて!」
「あ。……面倒臭いんだよぉ!」

[裏返し]#136

8/16/2024, 4:07:44 PM

この世はなんて生きづらいのだろう
やりたいことなんてない
楽しむ余裕もない
自分も他人もどうでもいい
毎日消えたいと思う日々

そんな私は
この世の世知辛さなんて知りもせず
自分の欲求に正直で
少しのことにも一喜一憂する
他人が産み落とした小さな命を
毎日必死に守ってる

我が子可愛さに
時には自分を失い
敵だと言わんばかりに勇んできては
どう育てたらいいか分からないと縋り泣く
そんな哀れな大人に寄り添い
嫌な顔ひとつせず
心を砕いて手を差し伸べる
そんなときがいくつあっただろう

怒りや涙を見せはしない
偉そうに子どもの前に座っては
"あれをしてはいけません"
"これをしてはいけません"
"ルールを守りなさい"
"友達に優しくしなさい"
そんな最もらしいことを
不出来な私が呪文のように唱えている

それでも
あの屈託のない笑顔と
成長を感じる小さくも頼もしい背中に
私は思わずにはいられない
無情なこの世界に
激しい社会の荒波に
幸多かれと願いながら送り出すことの
なんと残酷で誇らしいことか


[誇らしさ]#125

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