ピンとくることがある
直感、衝動買い、勢い、虫の知らせ
私の場合、それらの多くは信じるものであり
巡り会いなのだと思う
時に「やらなければ良かった」と後悔することはあれど
ものすごく失敗した、と感じることは意外と少ない
何かしら学びを得るから
今までの一番の巡り会いはなんだろうか、と考えるけれど
何かの前には別の何かがあって
どれも不可欠だから
もう、私として生まれてきたことが
人生最大の【巡り会い】だったのだと思う
黄昏(たそがれ)時、沖縄と実家の時間はちがう
南北だけでなく、東西にも長い日本だからこそ
いまがまさに黄昏時だ、と感じる時刻にはズレがある
例えば
日が沈みそうでギリ残ってて
東は紫で西は赤、そんな感じが黄昏だとして
それは沖縄では18時過ぎなのに
東京では16時くらいだったりする
夏だともっと遅くて
沖縄は20時くらいが黄昏れる
そんなことをつらつら考えると
人生のタイミングなんてものは
感じ方や生き方でいくらでも変わるのだな、と
正解はないのだな、と
沖縄の通り雨は「カタブイ」というらしい
通り雨というと、なんともささやかな雨のような感覚でいたが、沖縄はちがう
エブリデイ☆ゲリラ豪雨
毎日のように豪雨予報が通知される
それが沖縄における「通り雨」というものだ
東の窓から見える景色は真っ青な青空で
お出かけ日和とばかりに意気揚々とドアを開け
西の空を見れば水墨画のような雲が広がっている、なんてことも日常茶飯事のこと
偏って降る=カタブイ、という意味なのだろう
そんな土地で生きる沖縄人はたくましいものだ
濡れたらもはや走ることもせず、悠々と談笑を続けながら歩く
沖縄人にとって、スマホで最も重視するのは防水性能ではないだろうか
それぐらい清々しいほどに歩き続ける
アパートの駐車場まで帰りついたが雨が止むまで車から降りれない
そんな私の目の前を
今日もずぶ濡れの沖縄人が平然と歩いていった
沖縄に暮らしていると秋を感じることがなくなった。
もともと「沖縄の四季は『春、夏、夏、冬』」という冗談があるあるネタになるくらい、秋の印象が薄い。
紅葉はしないし、スーパーでは年中同じ物が売られてて旬のものもわからない。
最高気温はまだ30度を越え、衣替えも先の話。
強いて言うなら回転寿司のネタでようやく季節を感じられるかもしれない。
在宅ワークが中心になるにつれ、季節を感じるアンテナはどんどん劣化している。
そんなある日、久しぶりに外に出た。
普段は日が落ちてからの散歩。
その日は珍しく明るい時分の散歩。
鮮やかな植物が彩る景色は、私の知る「秋」ではない。
でもヒラと飛んできた一羽の蝶、そしてそれを執拗に追うもう一羽。
「ああ、今は虫たちの恋の季節なのか」
ようやく季節の移ろいに気づいた。
相変わらず、ここには私の知る「秋」は少ない。
でも、「秋」は来ているのだ。
花火の音がした。
何度も、何度も。
どうやらどこかで花火大会が開かれているらしい。
慌てて窓からキョロキョロ探す。
海が見える高台のアパートの一室に越したのは、前年の末。日当たりと風通し、あと家賃の兼ね合いで決めた部屋だった。
東側に面した窓からは、海から昇る初日の出を拝むこともできた。多少難はあれども良い部屋を借りた、そう思っていた。
部屋から花火が見えるなら、なんと素敵だろう!
そしてまたひとつ、花火の音がした。
視界の端で空がパアッと明るくなる。南東側だ。間違いない。
期待に胸を踊らせながら窓をのぞき、次の音を待つ。
ドーン!!!
なんということか。
待ちわびた光の華は、先月に完成したばかりの高層マンションの影にすっかり隠れ、私の目には一欠片もうつらなかった。
音と空を染める光の余韻だけ。
そうそう上手くはいかないか。
風に乗る火薬の匂いを肴に、一人苦笑したのだった。