たまに、本当にたまーにだけどふとした時に、
“いままでコツコツと貯めてきたお金を、私が今欲しいもの全てにバーっと注ぎ込んで、ぽっくりと逝ってしまいたい”
そんな風に考えてしまうことがある。
目に付いた「欲しい」を色々と我慢して、
お財布のなかで、そして見知らぬどこかで眠っている私のお金。
もしものため、将来のためにとそう短くはない年月をかけて蓄えてきた割と大事なはずのお金。
けれど、「じゃあ実際にそれを全部使ってまで、何が欲しいの?」って聞かれてもなぜだか何にもしっくりこなくて。
結局のところ、私は何かを得たいわけじゃないし、何かに消費したところで代わりに満たされるものはきっと何もない。
多分、単純に、自分自身を放棄してしまいたいだけなのだ。
私はあと何回この人とこうして、話をすることが出来るのだろうか。
あと何回、この人と会うことが出来るのだろう。
あとどれくらい、同じ時間を過ごすことが出来るのだろう。
もしかしたら数十年後、あなたは老衰して口を動かすことさえままならなくなってしまうかもしれない。
いつもうんうんって頷きながら話を聞いてくれるけど、いつかは上手く言葉をひろうことが出来なくなるかもしれない。
だから、今の内に。
後悔したくないから、きちんと私の心を伝えたい。
もっと、あなたの心と対話したい。
出来ればほんの少しでも、一緒にいたい。
けれど、何でだろうか。
そう思えば思うほど私の喉はきゅっと閉まって、何も言葉が出てこなくて。
ごめんなさい。もう少しだけ待っててね。
死者を想うと、天国でその人に花が降りそそぐらしい。
悲しみ、寂しさ、やるせなさ、祈り。
とめどなくあふれる心が花弁となって、その人の前に現れるのだろうか。
ああ、はらはらと舞い落ちてくる花たちを前に、あの人は今、何を思うのだろう。
どんな顔で、私のことを見下ろしているのだろう。
書いては消して、書いては消して。
私の「どこにも書けないこと」は、今もこの消してしまった余白の中に、ずっと眠ったままだ。
動き出したい、今。
またあとでじゃなく、今。そう、この瞬間のことだ。
ただ無意味に過ぎていく時間を積もらせるのではなく、ちゃんと、意味のあることを刻んでいきたいから。
今は少しでも前に、ほんのちょっとでも進んでいきたいから。
私の秒針は今も尚、止まらず動き続けていると信じて。