劣等感と優越感
あなたが
ありのままで、いることが
私の優越感。
あなたが、まだ、
それに、自信をもてないのが
あなたの劣等感。
競争するための言葉は、
肯定するものでも
人を否定するものでもない。
主観的なものである。
これまでずっと
どういうこと?
って言う。
どれだけわかりやすく説明したことか、
たぶん、話してる最中。別のことでも考えてたんだろう?
微笑ましい憎らしさ
笑っている。
満ちていく。
ライン
突然、話しかけてくるやつ。
電話よりまし。
返信は、待ってるとこない。
書く体力がなく、
気力もない
くだらないことに、時間を浪費する。
誤解を招く。
電話にしろ。
神のいたずらのような奇跡の絡まりは、
抱き寄せるとほどけるらしい。
目が覚めると
私は夢の中にいた。
ただ本当に目が覚めただけだ。
自分が開放された自分
物事はプラスの方にしか働かず、外からもまたそのようにしか働きかけない。
この次元に限りなどの概念がないからだ。永遠に続くかのように繰り返される。
開放された無意識は感性の異次元の脳域を目覚めさせる。
理解できなかったものを、瞬時に理解でき、
愛というものさえ、囚われた執着ではなく、まるで無限に循環されるかのように、
欲しい者には、惜しみなく感じられるのだろう、
愛は、与えるものでも、得るものでもない世界。sun
私の当たり前
私が当たり前ではない。
みんなか、当たり前ではない。
つまり、みんな当たり前だと言うことにもなる。
理論的には間違っているが、全てを認めようとする世の中だ。
ならば、多様性があって当たり前。
オールオッケーの世の中だ。
しかし、その一人を取り上げて、一つの哲学で成り立つわけでもなく。不完全なのは、人間である証しだ。
ならばこの世のどこに唯一無二のものがあるというのか?
当たり前ほ、信じる傾向にあると思う。
しかし、いつしか崩れ去り
次のものへと生まれ変わる。
日本の神社信仰をみてもわかるように。神道。
多神教だ、いろんな神様がいていいんだと言うことだろう。
当たり前は、そのままの自分であっていい。
そんな、あるがままにあることが、当たり前なのかもしれない。