ある時を境に、列車の光景が変わった。
それはスマホの出現である。数年前まで、
列車では乗客が思い思いのことをしているのが当たり前だった。読書をするものもいれば、居眠りをして乗り過ごしてしまったという経験がある人も珍しくはないだろう。一昔前の光景をおもえば、列車に乗っているみんなが示しあわせたように全員で一枚の薄い板を操作している姿は恐ろしい時代になったものだと感じる。私たちは、スマホを操作しているように見えているが本当は逆なのかもしれない。
一年前、私と母はこの街に引っ越してきた。
そう聞くと、両親の離婚が原因と思うかもしれない。しかし、そんな単純なものではない。
父は、交通事故をおこし相手の方が亡くなったのである。しかも、そのときに酒を飲んでいた。
要するに、飲酒運転である。次の日から、私たち親子は犯罪者の家族と噂されるようになった。
それがつらかった。だから、私たちのことを
だれも知らない遠くの街へ行くと決めたのである。
君は今、どこで何をしてどんな人と知り合いなのか。それは、以前は実際に会うことでしかわからなかった。しかし、最近はSNSが登場して友人の近況は端末ひとつで簡単に見ることができる。
とくに、実名でしか登録することができない
Facebookは他のアプリと比べ昔の知り合いを簡単に見つけることができる。恐ろしい時代になったと思う。
物憂げな空
6年前の3月27日に私の息子は亡くなった。
高校の山岳部に所属しており、活動中に雪崩に巻き込まれ命を落としたのだ。息子は極度の寂しがり屋である。常に、誰かと一緒にいた。だから、
夫と命日には必ず茶臼岳に登ることを決めた。
ただ、さすがに天気予報がよくないときは諦めるしかない。しかし、今まで雨だったり曇りだったことはない。きっと、あの子が私たちに会いたいのだろう。栃木県は、私たちが健康なかぎり物憂げな空になることはない。いつか、年を取り体に限界がくるまで会いに行くから今年も待っててね。
東名大学医学部附属病院産婦人科。
ここには、様々な患者さんが来院する。
出産はもちろん、中絶を希望する人もいる。
「本当によろしいのですか?」中絶を希望する患者さんに最終確認をする。一応、確認のためにしているもので答えはわかりきっている。
産婦人科医になって5年。その間に、私は多くの小さな命を殺めてきた。また、彼らは存在しなかったことにされている。産婦人科は、命の誕生の現場ということもあり「おめでとう」と言える唯一の科だと言われている。その度、私は親に望まれず殺される子のことを考えてしまう。
これから、医師になる人には産婦人科は命の誕生という感動を味わえるだけの生ぬるいところではないと覚えておいてほしい。そして、またそれは
かつての自分に向けての思いかもしれない。