『この砂が落ち切るまで、押さえておいてくださいね』
毎年いつもの場所で健康診断をする
身長体重血圧を測り、そして採血をする
採血後に先述のセリフで腕を1分間、片手で押さえておくように言われる
この砂時計が落ちていく様子を見るのが、とても落ち着く
たった1分だけれども
周りはがやがやとしているのに、この1分だけは砂が落ちる「無音」をここで採血をする人達は全員聞いているのだ
なんだかこの1分だけ素敵な時間に感じる
令和の時代に時間を計るのにスマホでもストップウォッチでもなく、砂時計を選んだ人も中々どうして粋ではないか?
「砂時計の音」
自分はいつまで生きるのだろう
もうこんな歳だ
そろそろお迎えが来てもいい
あの人の、あの人達の側へ行きたい
だがこの世からいなくなったら人はどうなる?
あの世で「生きる」ことになるのか?
極楽浄土に行けるとも限らない
地獄で刑期を終えるまで、ずっと「生きる」ことになるのかもしれない
あの世にいるのに「生きる」と言うのもおかしな表現だ
この世で生きて、あの世でも生きる?
あの世がどんな所かも分からないのに
諸説あるだろうが…
この世で生を受け、あの世に旅立ち、輪廻転生をし、またこの世に生を受ける
生あるものは、永遠にどこまでもどこまでも生き続ける運命なのかもしれない
「どこまでも」
友人と楽しそうに話しながら歩く学生
犬を連れた人
ショッパー袋をたくさん抱えた人
仏頂面の御年配
スーツ姿で急ぎ足の会社員
観光中の外国人
撮影する人
歩きスマホの人
昼間からビール片手に千鳥足の人
一人でずっと怒鳴っている人
宗教の教えを説く人
陰謀論を唱える人
踊り出す人
歌い出す人
寝出す人
様々な人達が行き交う都会の交差点
時々、何故そこで?と思う行動をする人もいる
そこは「未知の遭遇もする交差点」
ファンタジーでもない、誰にでも起こりうる「未知の交差点」
春、君の周りにはまだ人がいたね
夏、君の周りから人は去って行った。君はいつもの場所にいるのに
秋、君の周りには君に恋焦がれた、たくさんの人がまた集まって来た
調子のいい奴らだ
毎年同じ事が繰り返される
君の名前は
『焼き芋』
テーマ「秋恋」
「宿題やった?」
「片付けしなさい!」
「静かにしなさい!走らない!」
「早く起きなさい!遅れるよ!」
「こんな時間までどこほっつき歩いてたの!」
「お弁当ここ置いとくね」
「早く帰って来るんだよ」
「買い物行くけど一緒に行く?」
「今日何食べたい?」
「今日のごはんも美味しいよ」
「大丈夫、一緒にいるから」
「おめでとう!」
「おはよう」
「おやすみ」
「いってらっしゃい」
「おかえり」
テーマ「愛する、それ故に」