あれは春が過ぎて、夏の暑さを肌で感じるようになった頃。
玄関の扉を開けたら君がいた。
巣から落ちた、産まれたてのツバメ。
今にも消えそうな命の灯火に、僕は心が傷んだ。生きていることを確認した僕は、すぐに拾い上げて手当した。病院にも連れていき、大分回復してきたと思う。だが小さい頃に怪我をしたせいか、羽には大きな傷が残った。人間に慣れたツバメは、外には出たがらなかった。僕によく懐いていたように思う。だが、ツバメをいつまでも飼い続けているわけにはいかない。理解していることを、記憶の奥底に押しやって知らないふりをしていただけだ。いつかその日は来ると思っていた。
その日はインターホンの音と共にやってきた。何となく、嫌な予感がした。でも、気付かないふりをして、扉をあけてしまったんだ。
隣人からの苦情。そりゃあそうだ。ツバメの鳴き声は大きい。右に住むおばあさんだった。普段は穏やかな印象を与える方なのに、今日は本当に気に触っていたようだ。眉間に皺を寄せて、口角を歪ませて、敬語を崩さないように意識している口調で、僕に注意という名の説教をした。おばあさんは僕を見ているようで、僕の後ろの部屋を探るようにジロジロと見ていた。気味が悪かった。だが、こう言われるのは当たり前だ。どう考えても僕が悪い。そんなことは分かっている。
おばあさんが帰った後、ツバメを見た。眠っているのか、今は静かだ。そっと近づく。ツバメの目が開いて、僕を見て、口を開けて、ピーッと鳴きかけた瞬間、僕はツバメのくちばしを掴んだ。ツバメは驚いたように抵抗し、羽をばたつかせたが、人間の力には勝てなかった。僕はガムテープでツバメのくちばしをぐるぐると巻き、開かないようにした。
小さなケースに入れた。車に乗せて、近所の広い公園に向かった。夕暮れ時の公園には、門限ギリギリまで遊ぶ子供たちが何人かいた。僕は彼らの横を通って公園の奥、木々が生い茂った所まで歩いた。夕暮れ時とはいえ、そこは鬱蒼としていた。くらい闇に呑まれつつあった。僕は木々の手前でしゃがみこみ、ツバメの入ったケースを開けた。ツバメはすぐには出てこなかった。僕は根気よく待った。だが、いくら待っても出てこなかった。仕方ないので手を伸ばし、ツバメを引っ張り出す。ツバメはまたバタバタと暴れた。口のガムテープを取ってやる。途端、ピーピーと大きな声で鳴き出した。こいつは自分が捨てられることを理解しているのだ。
僕はツバメを地面に置いた。するとツバメはケースに戻ってしまった。次はケースを持って地面に置いた。羽をばたつかせながらついてきた。走って逃げても良かった。だがそうできなかったのは僕に情が湧いていたからだろうか。
もうすっかり日も落ちてしまって、公園にはもう誰もいなくなった。僕は、この飛べないツバメをやはり持ち帰ることにした。だが、この大きな鳴き声だけをどうにかしなければいけなかった。僕は車から、ハサミを取ってきた。
ツバメは一切鳴かなくなった。鳴けなくなった。
隣人からはもう苦情が来ることはなかった。
ツバメは僕に懐かなくなった。恐怖心を抱いているように見えた。僕を避けた。僕から離れた。僕が与える食事も、進んで食べなくなった。
苛立ちと悲しみが、だんだんと僕の心を蝕んでいった。
もういい。そう思った。
ツバメをベランダに連れて行った。ここは4階だ。飛べないツバメは、確実に死ぬだろう。ベランダのフェンスの上に、ツバメを置く。鳴けないツバメは、よたよたと歩き出した。僕を避けるように。
僕の目からは涙がこぼれた。
「助けてごめんな」
震える声が口から漏れた。
こんなことにしてから捨てるなんて、最低だ。飛べない、鳴けないツバメが野生で生きていけるわけが無い。こんなことなら、あの日見殺しにしておけばよかったのだ。こんな残酷な道を歩ませたのは僕だ。
ツバメは僕から1番遠いフェンスの角にいた。僕はそのツバメを一瞥して、部屋の中へ戻った。カーテンを閉めた。運が良ければ生きているだろう。とてつもない罪悪感に床に倒れて泣いていた。そのまま寝落ちてしまったようで、目が覚めると朝が来ていた。
恐る恐るカーテンを開ける。ツバメはもうどこにもいなかった。
07-19 飛べ
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