「今日だけ許して」
今日は疲れた。
いつもなら週末に溜まった家事を片付けて、来週の準備もして。
でも、今日はもう何をするにも起きない。
だから、今日だけはダラダラする事を許して。
そう誰に言うわけでもなく、心の中の自分に言う。
解ってる。誰かに強制されている訳じゃない。
ただキチンとしないと自分が落ち着かないだけ。
自分で自分に強制しているだけ。
自分で自分を「~するべき」で縛ってる。
だから。
たまには、自分に言い聞かせよう。
「今日はいいよ。許されるとかじゃなくて、そんな日があってもいいんだよ。」って。
自分にも、もっと優しくしよう。
他人に気を遣うように、自分にも気遣ってあげよう。
自分に一番近い人間は自分なのだから、その自分にも優しくしてあげよう。
そして、自分の心に余裕を持たせて、その分人にも優しくなれると思うから。
「誰か」
私の声は、誰かに届いているのだろうか?
不満を飲み込み、意地悪な周りの声にも大人の対応をして、でもホントは心の中では爆発したい思いを抱えて。
どうして意地悪な人が居るのだろう?
想像もつかない様な意地悪な物の見方をして、言い方をして。
それって誰得?って思う。
言われた方は気分が悪いし、言った方も、もしかしたら一瞬は、「言ってやった」ってスッキリするのかもしれないけど、結局人間関係を壊して、自分っていうか人間の価値も下げるだけだから、何の意味があるんだろう?って思う。
私も、声を上げればいいんだろうけど、その後の面倒くささを考えると、その労力を使う価値もないと思うし、同じ位置に降りていくのもバカらしいし、結局黙ってしまう。
でも、私は人間が出来てないから、腹が立たない訳ではなくて、心にイライラは募っていく。
いつか爆発する日が来るんだろうな、って思いながら、心に危ない爆弾を抱えてる。
誰か聞いてよ。
私だって辛いの。腹が立つの。怒りたいの。
何なら暴れたい位なの。
絶対にしないけど、いっそ1回殴ってみる?と思う日すらあるんだよ?
それ位、抱えてる物があるんだよ?
でも、変に分別があるから出来ないし、しない。
そして、ストレスは溜まる一方。
誰か、聞いてよ。
誰か、私をここから連れ出して。
……あの人に天罰を、と願う私は罪人でしょうか?
誰か、こんな私でも、許してよ。
誰か、誰か……
「遠い足音」
遥か遠くに足音が聞こえる。
ママが帰ってきた!!
僕達は慌てて玄関にお出迎え。
!!しまった、オヤツの棚が開いたまんまだ!!
こっそりオヤツを盗み食いしたのがバレちゃう……
でもきっとママは、少し困った顔して笑いながら、「もう、又悪さして。その分ご飯減らすからね」って怒って。
でも、僕達の可愛らしさに負けてきっと許してくれる。
だから、早く帰ってきて。
早く、ナデナデして、ギュッてして。
ママは毎日出かけて行くけど、その間僕達は淋しいんだよ?
でも、だからこそ遠くから足音が聞こえて、ママの帰りがわかるとたまらなく嬉しいんだよ?
遠い足音が少しずつ近付いてきて、近い足音になってくる。
もう少し。
もう少しでママに会える。
ほら、扉が開いた!!
「うにゃ~ん、みゃうみゃう」
僕達はママに飛びついて、スリスリして。
ママおかえり。大好きだよ。
※もしうちのコ達がこんな風に思ってくれたら、堪らんです。ただの願望がダダ漏れです。
「秋の訪れ」
半袖が寒くなると、秋だな、って思う。
そして、そう思う頃にはもう虫達の声が聞こえてる。
きっと、人間よりも他の生き物の方が先に季節を感じてる気がする。
色んな情報が多すぎて、少しずつ感性は退化してる?って思う事もある。
だからこそ、色んな事を感じる事を大切にしていきたいと思う。
「旅は続く」
旅行は終わりがあるけど、人生と言う名の旅には終わりがない。
険しい道を歩んだり、ただ平坦な刺激のない景色が延々と続いたり。
楽しい事ばかりじゃない。
でも、嫌な事ばかりでもない。
楽しんで、苦しんで。
走り抜けて、立ち止まって。
笑って、泣いて、怒って。
色んな事を経験してこその「旅」だから、堪能しよう。
喜んでも、泣いても、足掻いても。
この旅からは逃れられないんだから。
起こった出来事を「勉強」「経験」「知識」と捉えるか、「雑事」「面倒」「不満」と捉えるか。
受け止め方次第で同じ出来事がプラスにもマイナスにもなる。
だったら、全て糧にして。
「人生の旅、トータルで見たらホントに良かった。」って言える様に、誇れる旅にしよう。