「ふたり」
一人で居るのが好き。
人と居るのも楽しいけど、気を遣うし気疲れする。
だから、知り合いは沢山居るけど、友達と呼べる人は少ないし、無理に欲しいとも思わない。
でも、あの子とならふたりで居ても疲れない。
考え方も似ているし、価値観もほぼ一緒で、話をしていても、会話の裏を読んだりとか、勘ぐったりとかしなくていい。
大人になって、お互いに家庭を持つと会う回数は減るけど、でも、離れていてもきっとあの子も頑張っているんだろうな。と思えるから、存在自体が励みになる。
孤独が好きな私に、一人でいるより、ふたりでも良い事がある、ってあの子が教えてくれた。
あの時から、私の中で「ふたり」の意味が重荷から違う物にカタチを変えたよ。
ホントに有難う。
これからもずっと友達で居たいと思う。
そして、これからも、あの子にそうしたいと思われる様な、胸を張れる自分で居たいと思う。
私が気づいた「ふたり」の意味を、大切にしていきたいと思う。
「心の中の風景は」
いくつになっても、何処に行っても、誰と居ても。
私の心の中の風景には、必ず貴方が居る。
空気の様に、当たり前に私の側に居てくれる。
毛布の様に、いつも私を包んでくれる。
その大きな愛で、寛容な気持ちで。
いつか、私は貴方のその愛に報いる事が出来るのだろうか?
貴方の心の中の風景にも、私の居場所はあるのだろうか?
先の事は分からないし、貴方の心の中も私には見えない。
だから、私なりに精一杯貴方を愛して、貴方の心の中に居続けられる様な私で在りたい。
その為に、日々たゆまぬ努力を続けられる自分で居たい。
「夏草」
夏草、と聞くと、凄く力強いイメージがある。
暑さや水不足にも負けず、真っ直ぐに太陽に向かって、ぐんぐんと力強く伸びるイメージ。
逆に、冬の草と言うと、陽も当たらず雪の下で耐え忍んで、その時の為に力を溜めて、春を待って一気に芽が出る、みたいな感じで、何だか健気なイメージ。
でもよく考えると、どちらも辛抱強く、力強く。
人よりもよっぽどしたたかで、強い生き物だと思う。
私も、逆境に負けず、自分の持つ力を解き放てる時を間違えず、キチンとあるべき場所で、あるべき時に、芽を出せる自分になりたいと思う。
辛さを肥料にして、より強く、明るく、大きく、キレイに。
したたかに輝ける自分になりたい。
「ここにある」
目には見えない。
触る事も出来ない。
でも、確かにここにある、絆。
この縁が一生途切れずに続く事を、心から望む。
「素足のままで」
今回のお題で、自分が基本裸足で過ごしている事を書こうとして、ふと思った。
裸足と素足の違いは何?
で、調べてみた。
基本は一緒で、足に何も身につけていない状態。
でも、裸足は靴も履かず地面に足が直接つく状態。
素足は靴を靴下を履かずに履く時にも使う。
確かに言われるとそうだよね。
裸足で靴履くって言わない。素足って言うよね。
そう思うと、普段は自分でも意識してないけど、意外と皆微妙な言葉の違いは明確に口に出来なくても、ニュアンスの違いは解ってて使い分けてるんだな、って思った。
一つ発見のあった今日のお題でした。