《3日目》行かないで
「俺のもの残ってたら捨てていいから」
ただ、それだけを言い残してあいつは消えた。
「…行かないで」
いなくなってからでは遅いのに。
《2日目》鋭い眼差し
どこかから視線を感じ、ふと振り向くと目つきの悪い君が僕のことを静かに真っ直ぐと見つめていた。
「なに?」
「…別に」
ねぇ、君はいつもその眼差しで何を考えているの。
僕に何を望んでいるの。
《1日目》高く高く
ふらっと現れたこいつは俺の隣に座り何も言わず鍵盤に手を伸ばした。
あ、こいつには勝てない。
そう思った。
今までの努力が次々にヒビ割れていき、砕け散る。
数々のコンクールに参加しては賞を取ってきたはずだった。同年代で同じレベルのやつなんて、到底いないと思っていた。
なのに。
「お前、なんだよ」
「西条くんのピアノ聴いてたら久しぶりに弾きたくなっちゃって」
なんなんだ、この感情。知らない。
「ふざけんな!」
「え、ごめん…」
嫉妬、っていうやつ?
「邪魔しちゃってごめんなさい。僕、西条くんのピアノ初めて聴いたときからずっとかっこいいと思ってたよ」
「は?かっこいい?」
「うん、なんか、かっこいい。」
なんだよかっこいいって。
ピアノしてて初めて言われた。
「ねぇ、なんか弾いてみてよ」
「…やだよ」
なんでこいつのためになんか弾かないといけないんだ。
譜面を閉じ、そっと鍵盤葢を下ろす。
今はとにかく1人になりたかった。
俺はこいつに勝てねぇ。
この学校で1番は俺じゃない。
スクールバッグを背負い後ろを振り向き、そいつをキーっと睨みつける。
「二度と話しかけんな!」
俺は初対面の男にそんな台詞を残し教室を出た。
「あ、西条じゃん!どした?」
「うるせぇ」
「ピアノしてたんじゃないの?俺ら部活終わるまでもうちょい時間かかるから待ってて」
「…おう」
音、綺麗だったな。
優しくて、一瞬意識持ってかれそうに…
って、なわけあるか!
「…さ、西条くん」
「は?話しかけんなって言ったろ」
「これ、どうぞ」
おもむろに渡された炭酸飲料の缶は冷たくて重かった。
「あのね、俺さっき初めて人の前でピアノ弾いたんだ」
どうりで知らないわけだ。
合唱コンクールのピアノ伴奏をしているやつは1年から3年まで調査済み。音楽部でピアノ弾けるやつもだいたい知ってる。
こいつのことはさっき初めて見た。
「…てか、名前教えてくんない?」
「あ!ごめん…俺、皆見って言うんだ」
皆見…ミナミ、みなみ…どこかで聞いたことがあるような、ないような。
飲み干した炭酸飲料の缶を握り潰しながら思い当たる顔を探す。
皆見が黙りこくっている俺を心配そうに覗き込んでいるのを無視して頭を抱えて。
「あ、思い出した!お前山田が言ってたバスケ上手いやつ」
「…バスケ?あぁ、この前補欠で大会に出場したよ」
スッキリした頭を持ち上げ缶をゴミ箱に向かって投げるとカコンと音を立てて草むらに落ちた。
「で、なんか用?」
「あ、うん、あのね、僕のピアノどうだった?率直な感想が聞きたくて…。」
は?なんだこいつ。
皆見の揺れる瞳が俺をまっすぐ捉える。
突き刺さるような視線から目を逸らしてスクールバッグを片手に立ち上がった。
「…俺は、まあ好きだったけど」
「ほ、ほんと!?」
「ちょっと痛いから!」
「嬉しいなぁ」
俺は皆見に勝てない。
あんなに繊細で優しい音、俺には出せない。
そういえば最近調子が悪かった。
昔ほど成長も感じられなくて飽きてたんだと思う。
コンクールで賞を取ったってまたかってなるようになったのはいつからだろう。
暇さえあればピアノ弾いて、寝て。
そんな生活、割と気に入ってはいたけどもっと楽しく生きたいと心のどこかで思っていたんだと思う。
「…潮時だな」
「え?」
「ピアノ、やめるわ」
「えぇ!?」
せめてこの学校では1番になりたかった。
でも、あんなに高い壁をいきなり出されたら無理だ。
俺はこいつを越えられない。
「やだやだ西条くんのピアノもっと聴きたい」
「だいたいお前なんなんだよ離れろ」
「…西条くんのファンなんだもん」
「はぁ?お前何言って、」
「…もうこれやるから帰れ」
スクールバッグから譜面を取り出し投げるように渡せ皆見が手を離し校門まで走って逃げた。
ピアノ、だいぶ続いたんだけどな。
まぁ初めは親の趣味習い始めただけだし。
「西条くん、待ってってば」
「だるいって」
「ピアノやめるって言わないで。いつも窓から眺めてる西条くんは凄く幸せそうな顔してたよ。それなのになんで…」
「1番じゃないと意味ないし」
幸せそうな顔?俺が?そんなわけあるか。
お前の目に俺はどう映ってるんだ。
「西条くんはとてもかっこよくて綺麗で…僕の中の1番だよ」
「俺はそんな人間じゃない」
皆見に掴まれた肩を揺らし振りはらう。
遠くから野球部の声が聞こえて慌てて正面玄関へ戻った。すると、昇降口の方から自分の名前を呼ぶ声が聞こえて返事をし皆見を睨んでその場を後にした。
ピアノを始めて物心がついてしばらくしてから俺の目標は日に日に高くなっていった。
その分同年代のやつらと比にならないほど弾いた。
ピアノを弾いては上手い人の音源と比べる。
それの繰り返し。
最初はそれも楽しかった、はずだった。
ほんと、いつからだろう。